(archive) 番外編 イタリア・とんがり帽子のメルヘン村にて

 キリストの復活を祝うイースターもわたしたちにとってはただの?連休。旅にハプニングはつきものだが、今回の旅はまさに「ハプニングだらけ!」
 イースターだから、通常の飛行機会社は満席、もしくは高かった。旅行会社に勤めて日ごろは眼の仇?にしている、ノーフリルの飛行機会社で、航空券は取った。行きがライアンエア、帰りはイージージェットだ。出発の2週間くらい前に、行きの時間の変更連絡がきた。半日くらい遅れるとのこと。当初、早朝にでないといけない、と思っていたから朝寝坊のわたしたちには遅い出発はありがたかったが、着くのも当然、遅くなる。遅くなると、そっからその日の宿泊地であるアルベロベッロまで、列車を乗り継ぎ、辿り着けるのか?なんせ、田舎のタイムテーブルゆえ、しかもグッドフライデーのキリスト教国では祝日に、そんなおそうまで、列車の便があるのか?
 しかし、文明の利器はおそろしく、インターネットでイタリア国鉄が、私鉄まで時間も料金も検索できる。さすがぁ。ひごろお客様に*トーマスクックのコピーを渡して、実際の時間は現地でお確かめくださいね、変わることもありますから、と言いなれているが、ひとつのずれもなく、列車の時間はインターネットの情報の寸分たがわずだった。
 ずれたのはわたしたち。飛行機は遅れることなく、定刻より少し早くにイタリア西部海岸の町、ペスカラの空港に到着した。そこから町中の列車駅まではバスで15分ほど。時間的に余裕でバーリ行きの列車にじゅうぶん、乗れるはずだった。
 ところが。出会いとは恐ろしい?
 全席自由席のノーフリルエアの機内で、隣にすわったイギリス在住、ロンドンでイタリアレストランをやっているというマンマ、その前に座っていたしゃべり好きのイタリア人男2人と無理やりのように?知り合いになり、その二人が偶然わたしたちと同じく、駅まで行って列車に乗る、という。「このうら若きエトランジェの乙女二人をちゃんと駅までご案内して列車におのせするのよ」というマンマの指令により、紳士である、イタリア男二人はもちろん、とばかりにボディガードをかってで、わたしたちをお荷物にされてしまったのであった。じゃじゃ~ん。
 しかし、お荷物だったのは、わたしたちじゃなく、こいつらだったのだ。
 例によって、機内持込のみの旅慣れた軽装のわたしたちに比べ、この二人はふるさとに帰る長い休暇のため、トランク、だの、でかいスーツケース。それが出てくるまで、いっしょに待たないといけないという羽目に。
 いらいらいらいら。電車は何時に出るというのは、職業上ちゃんと予習してある。バスで行ってもじゅうぶん間に合うはずだが、荷物がなかなかでてきません。申し訳ないが、ほったらかしてお先に、と思ったが、「ぼくたちが駅まで連れて行ってやる」とひかない。
 で、やっとでてきたら、バスの切符を買いに、また飛行場内のインフォメーションの窓口まで行かなくちゃならない。なんで運転手から買えないのだ、イタリアのバスっつうのは?(これは今後も以前もたびたびありました。イタリアでは)
 やっとのことでローカルバスに乗り込み、めざす駅へ。しかし、ローカルバスっつうのはとろとろ行くのよね。いくつもバス停で止まるし。ひとは多いし。だんだん不安になるエトランジェ乙女ふたり。列車の時間に間に合うのか?このとろさで。下調べによると、空港から駅までそんなに遠くないはずだが。
 やあっと、着いた。しかし、駅まで遠い!ペスカラの鉄道駅はマンマの言う通り、モダンで、でっかい。ひゃあ、これ、プラットフォーム見つけるだけでひと仕事だわ。その前に「切符を買う」という作業があった。イタリアの常、長蛇の列。ひとりひとりがしゃべるしゃべるで、なかなか列が進みません。第一、イギリスのように、キュー(行列)なんかしとらんから。
 やっと自分たちの番になったと思ったら、「この列車、もう出た」
 次の列車は3時間後。3時間後~?ひょっとして、そんなんだったらどうしたってバーリから先の私鉄にはもう間に合わんはず。。。。。。
 がっくり。もちろん、エスコートしてくれた(じゃましてくれた、というべきか)イタリア男二人もその列車しかないから、3時間待たないといけないのだった。呆然。しかしイタリア人は切り替え早い。「町に出てなんか食おうぜ」
 ま、きみたちはいいよね、駅に着いたら家族が車で迎えに来てて。わたしたちゃ、そこからまだ列車で2時間くらいかかる田舎に行くんでっせ。
 おかげで次の列車でバーリに着いたけど、そこからアルベロベッロに行く終電はわたしたちの電車が着く5分前に出発するというご親切なスケジュール。バーリから乗り継ぐひとがいるはずだから、時間考えて運行してほしいよなあ。おかげでどうしてもホテルに辿り着くしかないエトランジェ乙女二人はタイマイはたいてタクシで飛ばすことに。ほとんどあと1時間でひにちが変わるという夜中にやっと到着。ここでの宿泊は夕食つきだったが、ホテルのレストランもすでに閉まっていて、ホテルでの食事は食べ損ねました。
 なんとか開いてるレストランを紹介してもらい、食事はできましたが、そうじゃなかったらもう怒り!イタリアの初日、食事の期待の初日がこう。
 前日は暗く、遅く、空腹で何も見えなかった、考えなかったという町。翌日明るい光の中で改めて観光してみると、ほんとに、トルリ(単数形はトルロ)という白壁にとんがり帽子の屋根の家群の中にわたしたちは泊まっていたのでっせ。かわい~い。別世界に来たみたい。そう、メルヘンの世界。ホテル自体もトルリなのです。ひとつのトルリが、もしくはふたつがセミデタッチドハウスのようにひっついてる場合もあるが、コテッジの雰囲気で、独立していまして、その中に寝室とバスルームがちゃんとあります。トルリ群の中は、まるでキャンプ場の中庭のようです。レストランは隣接している独立したこれまたトルリのおうち。
 おみやげ物屋さんもトルリ。教会もトルリ。昔の家がどんなだったか、生きた博物館になっている館もトルリ。でもすべて観光客用の見世物ではなく、実際にこのトルリに住んでいるひとももちろんいるんです。さてどんなひとたちが住んでいるんでしょう。こびとかなあ?いやいや、ふつうのおじいさん、おばあさんでした。南イタリアによくある、とびらのドアのところにはすだれのような玉ジャリカーテンがかかっていて、そこからのぞくように顔をだしているおばあさんたち。わたしたちがまるで動物園の外の動物たちのように珍しく見られています。トルリ森のれんがストリートをカメラをかかえて撮っているにんげんどもを冷ややかに見ているトルリの住人。
 中はけっこう狭いのですね。観光インフォによると家はニ層になっていて、上が穀物貯蔵のための置き場のロフト。地下には水道が引かれていて家屋内井戸のようになってそこから水を引いていたようです。
 おみやげ屋では日本語が通じ、いやみはないけど、けっこう観光地です。
 トルリだけには飽き足らず、わたしたちは、イタリアの足のかかと、アキレス腱のあたりの部分を西⇒東へ横断してナポリからアマルフィ海岸へ!を予定していたのですが、なにせ、短い休暇、しゃかりきに日本人的スケジュールをこなすには、イタリアの交通機関はついてきてくれない!サレルノというアマルフィ海岸方面へのバスの発着地となっている町から、アマルフィを途中見て、ナポリへ抜けようと思っていたのに。サレルノの駅前のバス停で待てど暮らせどバスは来ない。11時半があるはずが、もう12時はとうにすぎている。来るバス、来るバス、みんな違う行き先。その前の10時台もあったはずだがアマルフィ行きのバスは、はて、どこに???
 みな、待っている。されどバスは来ない。アマルフィ海岸は海岸線の道路がせまくて急勾配らしいが、キリスト教の祝日というのもあって渋滞して遅れているらしい。それでもまだ来ない。列車でナポリまで行くと1時間もかからないのだが時間があるからと思い、わざわざアマルフィ経由で美し海岸を見て、ナポリに行こうと思ったのに。これからバスが来たとしても、今度またナポリへ行くのにバスしかなく、それが同じように時間がかかるようだったら本日の帰りの飛行機にまにあわないのさ。アマルフィ海岸に行くにはバスしかないのに、ほんとうに行かないといけないひとたちはどうするんだろうか、こんなんで。わたしたちは泣く泣くアマルフィでのランチはあきらめ、ナポリで食べました。
 サレルノ ⇒ 1時間 ⇒ アマルフィ ⇒ 1時間 ⇒ ポジターノ ⇒ 1時間 
      ⇒ ソレント ⇒ 1時間 ⇒ ナポリ 

というタイムテーブルは机上のものなのだ! アマルフィは次の課題となりました。

 筆者注)
*トーマスクック ヨーロッパ大陸の列車の時刻表、赤い表紙が日本でもおなじみ?

 旅行は2003年4月19日―21日 おそくなりました。

2004年2月14日               
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..February,2004

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