29 お宅拝見その1
その1ということはその2があるってことよね???(そうで~す)
9月の第三週は恒例「ロンドン・オープンハウス」の週末。年に一度のお宅公開の日です。これはわたくしの過去の記録を見ますと2001年の便りに書いてはいるんですが覚えてないワイ、と言う方のために今一度ご案内いたしましょう。太っ腹のロンドンへ (一応、新しい読者の方々のためにも、2001年に書きました「3 ロンドン・オープン・ハウス」もこちらでどうぞ。よろしければいっしょに楽しんでください)
去年は下調べが足らず、ほんとに(おいそがしのわたしですから)数えるほどしか見学にいけなかったのですが、これは年間行事にすべく、一大イベントでっせ??? 一年にたったの2日。9月の第三週の土・日だけなんです。ロンドンの実に何千もの政府関係の建物「ことしの建築デザイン協会りっぱ賞」なんてのをもらった建築物や、教会、個人の家まで、が協力して世間に貢献しているのです。見たいところをちゃんと予習して、地理的にもまとめ、効率よくまわらねば。今年のわたくし個人的テーマ。中世と現代。もしくは貴族とご近所。はたまた、遠い世界と近い世界。っつって。ということで、土曜日は午前中出勤のため、まあ2つかな。というところで去年見損なったマルバラハウスと、バンケッティングルームに的を絞ります。
これもはっちょん(発音)は「英語講座」でやったでしょ。マルバラ。場所ももと貴族のお館街、 Pall Mall (パルマル街)にあるのですが、バッキンガム宮殿にふと近いセントジェームズ・パークにも近いところの端にどん、と構えております。今は英連邦(Commonwealth)のオフィスになっていますが、もとを遡れば貴族の館、王族の末裔たちがロンドンの家として住んでいたところなのです。ここで話がそれますが、英国の歴史(特にロイヤルファミリーの歴代)を見ていくと、王様、女王様たちがぞくぞくでてきて、だいたい、このようなもと貴族の館はマナーハウスとして現在庶民一般に公開されているところが多いのです。でてくるのはやっぱり王族。こっちにもあっちにも。この週の前に積年のゆめ(ちと大げさか)*ハットフィールドハウスに行き、そこでもやはり、王族登場。中世などの肖像画をあれは誰、このひとの奥さんは誰だっけかあ、とこれまた、英国王族歴史にはまっている、いち友人とあてあい。肖像画には名前が書いてなくとも当時のひとはわかったはずで、説明をしなくとも「これ、ジョージ一世」「あれ、ヘンリー七世」とかわかるんでしょうなあ。部屋の警備のおばさん(ご年配のレディ風が多い)も「王族年鑑」みたいな本をちゃんと携えていて、質問すると、すらすらと答えてくれる。みんなひとつにつながるのです。繰り返し出てくるからいやでも覚える?反復は学習なり。The Queen というだけで、この時代だったらヴィクトリア女王、と何も固有名詞がでとらんでもわからなあかんねん。そ、Duke of なんとか、もいっぱいいて、一代目、二代目とかみんなDuke of なんとかだから、わからん。しかも親子で顔も似てるし。Duke of York とか言っても、York に住んでるわけでもないんでっせ。話をマルバラハウスに戻すと、ま、くどい歴史的説明は、はしょるとして、わたしが興味深く感動したのが、マルバラ公(*2 Duke)と結婚した奥さん、Dukeの対(つい)の女性の称号はDuchess。Sarahというひとの肖像画があって、このひとは、アン女王のお気に入りだった女官のサラ・ジェニングスなんですのよ(なぜか女同志はこわい、最後は女王が気に入らなくてクビにするが)。きゃ~。たって、知らないひとは知らないでしょうけど。彼女は秘密裏にマルバラ公と結婚したらしい。なんか、肖像画を見ているだけで当時のスキャンダルっつうか下世話に人間としての貴族たちの生活に思いをはせ、想像が想像をよんでしまうじゃありゃしませんか。彼女の子孫をつないでいくとあの、第二次世界大戦中のイギリスの英雄、はまきがトレードマークのチャーチル首相にぶちあたるんですの。というとはあ~、と思う? そのあとの何代目かのDuke はジョージ四世の娘を妻にしてるし、そのあと、ウィリアム四世の未亡人アデレード女王にこの家が譲られ、後を継いだ姪のヴィクトリア女王の結婚披露宴もここで行われ未亡人の亡きあとはエドワード七世(ヴィクトリアの息子)が成年して居を構えておりました。と、歴史に名だたるひとたちがここにいたのですよねえ。その部屋にわたしがいる、今見てる、と思うとかんげきぃ。
現在もオフィスとして使っているが、手入れの行き届いた、でも*3)クリストファー・レンの当時の建築様式を残すうつくしい部屋の数々を見たあとは庭へでてみました。庭がまた広い。花はなく緑の芝生と生垣だけなのですが当日は天気もよく、庭でひなたぼっこしてる一般のひとたちが。横手で、オフィスの有志により簡単なティーやコーヒーが50pくらいで飲んで休憩できるようにしてあって、こういうとこ、ええなあ。 庭にはメアリ女王(ジョージ五世の奥さんでしょう)のかやぶきサマーハウスがありましたが、なぜか中に今風の稼動式バーベキューセットが置いてあって??でしたが。ここのだだっぴろいお庭でバーベキューしたらええやろなあ。
Whitehall Palace (ホワイトホールパレス)の一角にあり、ルーベンスの天井画が有名です。 すごいの、これが。もともと16世紀にアーチビショップの住まいだったものを当時のヘンリー八世が気に入り、自分のものにして以来、王族の住まいとなりました。だいたい、このヘンリー八世っつうおっさんは(失礼!)ひとのものほしがるみたいで、ハンプトンコートパレスも宗教界の大物、自分も引き立てていたウルジー卿のを譲渡させたのよねえ。このおっさんって、ほんとすごいやつ。ま、当時の王さんはそれだけ威力と権力があったってことですね。この宮殿ほしい、ちょ~だい!ってわたしも言ってみたいもんだ。チャールズ一世が、お抱え宮廷画家であり外交官でもあったルーベンスにここの天井画を父*4)ジェームズ一世をたたえるため、宇宙的金額を画家に払って作ってもらったのでした。が、せっかく親孝行したのに、チャールズ一世自身は皮肉にもそのパレスの前でイギリス王始まって以来の断頭の憂き目を見るという。神も仏もないのか!まあ、でももとは庶民の税金やし。しかし、カネに物言わせておもいっきし自分の権力を誇示してるって感じ。やっぱ、ばちあたったんかいなあ。長い歴史のなか、火事や修復で改装が重ねられており、当時のままにオリジナルで残っているのはホワイトホールパレスの中でもこのバンケッティングハウスの一角だけだそうです。このバンケッティングハウスの宴会場は今も各国外交官とかの集まりやパーティにライブで使われておりますのですごいもんですね。中央に玉座がしつらえてあり、現女王陛下がご出席の折にはここにお座りになるんですわ。
ああ、もうため息のでるような、装飾と昔の王族の所有物を今も大切に生かして使っているイギリスという国に感激して、翌日曜日はご近所のモダンな建築見学。わがフラットから歩いて2分という通りにオープンハウスしている家があり、事務局で前もって予約をしておいたわたしはいち友人と二人でおじゃましました。時間が決められており、一度に二人までしか申し込めないのです。確かに、ふつうのおうちだからスペースも限られており、人数制限が必要なのでしょうね。ここは建築家ご夫妻が土地を買って、家は自分たちで設計して建てたという、とってもモダンなおうち。オープンキッチンに、ガラス窓の広い、機能的かつクリアな感じ。2階へ行く階段はシースルーになっていて、それが目玉らしいです。ウッドとコンクリをうまく組み合わせてあり、庭もシンプルだけど小奇麗にしています。しかし、この家族も太っ腹やね。ぜんぜん見も知らずの他人が、文字どおり土足で家を見学にくるんでっせ。しかもただで?建築に三年かかったと当時の写真を見せながらひとりひとりに説明してくれる奥様。ほんとに「住んでいる」うちだから家具もそのままだし、どうどうと他人の家を観察できるってのも不思議な気分。ふぅんとへんに感激して、2番目のおうちへ。
ここはこんなところにこんなスペースがあるんか、というほどの大通りをちと入ったところ。こちら写真家。下がだだっぴろーい倉庫のようなスタジオになっていて、上2階分が住居。屋上にルーフテラスまであります。向かいは公園なので、景色もいいし。つと入った大通りの喧騒がまったく感じられない静けさ。今日一日は見学のひとごみでざわざわしてるとしても。こちらもオープンキッチンの、ガラスの天井まで届く窓だし。モダン。どちらの家も、白と灰色が基調、それにガラスの透明とウッドの木目色がとりどりって感じ。
最後はカムデンのカウンシル(区役所)が70年代に建てたといういわゆる公団住宅の一角。これも吹き抜けのような、天井から明かり取りの温室のようになっていて、不思議な構造なのです。ルーフテラスあり。オープンキッチンも。20世紀後半のモダン建築って、モダン、オープンキッチン、ルーフテラス、がテーマなのね?
最後の家の住人の職業はわかりませんでした。こういうふつ~の(といっても建築家だし、カメラマンだし、ちと平民とは言いがたいが)ひとたちが、これほど地域社会とオープンハウスに貢献してるってのもすごいなあ、とまた感激。自分の家見せるったら、よっぽどよね。太っ腹やないとできませんわ。きれいにしとかんといかんし。自分の家に誇りがないとなあ。ほこりは掃除せなあかんが。
<いつもの資料室>
*ハットフィールドハウス ロンドン北部にあるエリザベス一世が幼少をすごした館。地味なんで
すけどね。17世紀の雰囲気がとってもレトロ。
「虹を持つ女王の肖像画」があります。「虹」は「わたしなしではこの国はおさまらない」と
いう権威の象徴とか。
*2)Duke of Marlboroughこの、公、侯爵、公爵、いろいろ称号があって、これもひとつの暗記の
勉強みたいなもんなんすが、また次回のお勉強時にね。詳しく。
*3)クリストファー・レン 17世紀の建築家。ダイアナ妃が結婚式をあげたセントポール寺院を、
1666年のロンドン大火のあと設計して建て直したのは有名。(それ以前の時代のこの寺
院にはドームがなかった!四角いアタマなの!)
*4)ジェームズ一世 エリザベス一世が世継ぎがなかったのを受け、血筋からスコットランド王と
イングランド王を継承、両国を統合。エリザベスにすれば女同志のいろいろ、ライバルのようだ
ったスコットランド女王メアリの息子を自分の跡継ぎにすることになったのです。歴史って皮肉
ね。メアリのお母さんがエリザベスのお父さんときょうだいという関係。英語ではcousin になって
いるが、はとこかしらん?やっぱいとこ?
((付録・簡単イギリス王室系図))中世以前省略。。。。これは改めてまたおべんきょしましょうね。 今回は、ばら戦争を終結したヘンリー七世くらいからはじめましょうか。おもろいし。ランカスター家の赤いバラ、とヨーク家の白いバラの王位継承をめぐるバラ戦争を、自分はランカスターの血筋、で、ヨーク家のお姫様エリザベスを妻にして、両家をまとめて、大義名分とともに自分は王として名乗る。テューダー朝の始まり。ヘンリー七世⇒ヘンリー八世(ヘンリー七世の次男)⇒エドワード六世(ヘンリー八世の長男)⇒メアリ(ヘンリー八世の長女)⇒エリザベス一世(ヘンリー八世の次女)
注の注)このヘンリー八世の3人の継承者はそれぞれ母が違う!
⇒ジェームズ一世(エリザベスのいとこメアリの息子、ここからステュアート朝)
⇒チャールズ一世(ジェームズ一世の長男) ⇒チャールズニ世(チャールズ一世の長男)
⇒ジェームズ二世(チャールズ一世の次男)⇒オレンジ公ウィリアム(三世)とメアリ二世(メアリはジェームズ二世の長女)⇒アン(ジェームズ二世の次女でメアリの妹)⇒ジョージ一世(ここからドイツからきたハノーヴァー朝。一世はイングランド王でありながらドイツ語しか解さなかった)⇒ジョージ二世⇒ジョージ三世(孫)⇒ジョージ四世 ここまで数字で簡単。ジョージ三世はジョージ二世の長男じゃなく、孫です。ジョージ二世にはフレデリックというPrince of Walesがいましたが、お父さんより先に死んでしまった。ジョージ四世のあと、その弟のウイリアム四世、このへんはそろいもそろっておとうちゃんとは似つかん晩婚、女たらしぞろい?愛人との子供はいても、正妻との子供が育たず、継承者が別に行く。ウイリアム四世の継承者がなく、姪のヴィクトリアへ。
ヴィクトリア⇒エドワード七世(ヴィクトリアの長男)⇒ジョージ五世(エドワード七世の次男)
⇒エドワード八世(ジョージ五世の長男、戴冠せず)兄貴がアメリカ人未亡人ウォリス・シンプソンと結婚して王位を辞退したため弟のジョージ六世(ジョージ五世の次男)⇒エリザベス現女王と。 はい、お疲れ様でした。 おとっさんと同じ名前は大体嫡男、変わるときょうだいかな。暗記目録にルールをぼんやりと見つけようとしているわたくし。次のにもこれ、出てきますのでね。覚えといてね。年号を覚えたら次は奥さんの名前よ。似たよな名前が多いので名前の種類は少ないがごっちゃになる。どこの出か、とね。アラゴンのキャサリン、デンマークのアンとかね。嫁さん2人以上いるひともいるしなあ。で、愛人(ミストレス)の名前まで覚えるともうあなたはイギリス王族歴史のプロ!かなあ?わたしゃ、エセ歴史家よ?
<ウエブ資料関係>
http://www.londonopenhouse.org/ ロンドン オープン ハウス
http://www.hrp.org.uk/ ロイヤル ヒストリカル パレス
来年のテーマは「駅」かな。ナイツブリッジやパディントンの駅の中の昔今の建築構造が見れるらしいんです。来年も公開してればね。一年限りの公開の建物もあるし。なかなか興味深いイベントです。ほんと。
2003年10月18日
© Mizuho Kubo , All rights reserved.. October, 2003
9月の第三週は恒例「ロンドン・オープンハウス」の週末。年に一度のお宅公開の日です。これはわたくしの過去の記録を見ますと2001年の便りに書いてはいるんですが覚えてないワイ、と言う方のために今一度ご案内いたしましょう。太っ腹のロンドンへ (一応、新しい読者の方々のためにも、2001年に書きました「3 ロンドン・オープン・ハウス」もこちらでどうぞ。よろしければいっしょに楽しんでください)
去年は下調べが足らず、ほんとに(おいそがしのわたしですから)数えるほどしか見学にいけなかったのですが、これは年間行事にすべく、一大イベントでっせ??? 一年にたったの2日。9月の第三週の土・日だけなんです。ロンドンの実に何千もの政府関係の建物「ことしの建築デザイン協会りっぱ賞」なんてのをもらった建築物や、教会、個人の家まで、が協力して世間に貢献しているのです。見たいところをちゃんと予習して、地理的にもまとめ、効率よくまわらねば。今年のわたくし個人的テーマ。中世と現代。もしくは貴族とご近所。はたまた、遠い世界と近い世界。っつって。ということで、土曜日は午前中出勤のため、まあ2つかな。というところで去年見損なったマルバラハウスと、バンケッティングルームに的を絞ります。
これもはっちょん(発音)は「英語講座」でやったでしょ。マルバラ。場所ももと貴族のお館街、 Pall Mall (パルマル街)にあるのですが、バッキンガム宮殿にふと近いセントジェームズ・パークにも近いところの端にどん、と構えております。今は英連邦(Commonwealth)のオフィスになっていますが、もとを遡れば貴族の館、王族の末裔たちがロンドンの家として住んでいたところなのです。ここで話がそれますが、英国の歴史(特にロイヤルファミリーの歴代)を見ていくと、王様、女王様たちがぞくぞくでてきて、だいたい、このようなもと貴族の館はマナーハウスとして現在庶民一般に公開されているところが多いのです。でてくるのはやっぱり王族。こっちにもあっちにも。この週の前に積年のゆめ(ちと大げさか)*ハットフィールドハウスに行き、そこでもやはり、王族登場。中世などの肖像画をあれは誰、このひとの奥さんは誰だっけかあ、とこれまた、英国王族歴史にはまっている、いち友人とあてあい。肖像画には名前が書いてなくとも当時のひとはわかったはずで、説明をしなくとも「これ、ジョージ一世」「あれ、ヘンリー七世」とかわかるんでしょうなあ。部屋の警備のおばさん(ご年配のレディ風が多い)も「王族年鑑」みたいな本をちゃんと携えていて、質問すると、すらすらと答えてくれる。みんなひとつにつながるのです。繰り返し出てくるからいやでも覚える?反復は学習なり。The Queen というだけで、この時代だったらヴィクトリア女王、と何も固有名詞がでとらんでもわからなあかんねん。そ、Duke of なんとか、もいっぱいいて、一代目、二代目とかみんなDuke of なんとかだから、わからん。しかも親子で顔も似てるし。Duke of York とか言っても、York に住んでるわけでもないんでっせ。話をマルバラハウスに戻すと、ま、くどい歴史的説明は、はしょるとして、わたしが興味深く感動したのが、マルバラ公(*2 Duke)と結婚した奥さん、Dukeの対(つい)の女性の称号はDuchess。Sarahというひとの肖像画があって、このひとは、アン女王のお気に入りだった女官のサラ・ジェニングスなんですのよ(なぜか女同志はこわい、最後は女王が気に入らなくてクビにするが)。きゃ~。たって、知らないひとは知らないでしょうけど。彼女は秘密裏にマルバラ公と結婚したらしい。なんか、肖像画を見ているだけで当時のスキャンダルっつうか下世話に人間としての貴族たちの生活に思いをはせ、想像が想像をよんでしまうじゃありゃしませんか。彼女の子孫をつないでいくとあの、第二次世界大戦中のイギリスの英雄、はまきがトレードマークのチャーチル首相にぶちあたるんですの。というとはあ~、と思う? そのあとの何代目かのDuke はジョージ四世の娘を妻にしてるし、そのあと、ウィリアム四世の未亡人アデレード女王にこの家が譲られ、後を継いだ姪のヴィクトリア女王の結婚披露宴もここで行われ未亡人の亡きあとはエドワード七世(ヴィクトリアの息子)が成年して居を構えておりました。と、歴史に名だたるひとたちがここにいたのですよねえ。その部屋にわたしがいる、今見てる、と思うとかんげきぃ。
現在もオフィスとして使っているが、手入れの行き届いた、でも*3)クリストファー・レンの当時の建築様式を残すうつくしい部屋の数々を見たあとは庭へでてみました。庭がまた広い。花はなく緑の芝生と生垣だけなのですが当日は天気もよく、庭でひなたぼっこしてる一般のひとたちが。横手で、オフィスの有志により簡単なティーやコーヒーが50pくらいで飲んで休憩できるようにしてあって、こういうとこ、ええなあ。 庭にはメアリ女王(ジョージ五世の奥さんでしょう)のかやぶきサマーハウスがありましたが、なぜか中に今風の稼動式バーベキューセットが置いてあって??でしたが。ここのだだっぴろいお庭でバーベキューしたらええやろなあ。
Whitehall Palace (ホワイトホールパレス)の一角にあり、ルーベンスの天井画が有名です。 すごいの、これが。もともと16世紀にアーチビショップの住まいだったものを当時のヘンリー八世が気に入り、自分のものにして以来、王族の住まいとなりました。だいたい、このヘンリー八世っつうおっさんは(失礼!)ひとのものほしがるみたいで、ハンプトンコートパレスも宗教界の大物、自分も引き立てていたウルジー卿のを譲渡させたのよねえ。このおっさんって、ほんとすごいやつ。ま、当時の王さんはそれだけ威力と権力があったってことですね。この宮殿ほしい、ちょ~だい!ってわたしも言ってみたいもんだ。チャールズ一世が、お抱え宮廷画家であり外交官でもあったルーベンスにここの天井画を父*4)ジェームズ一世をたたえるため、宇宙的金額を画家に払って作ってもらったのでした。が、せっかく親孝行したのに、チャールズ一世自身は皮肉にもそのパレスの前でイギリス王始まって以来の断頭の憂き目を見るという。神も仏もないのか!まあ、でももとは庶民の税金やし。しかし、カネに物言わせておもいっきし自分の権力を誇示してるって感じ。やっぱ、ばちあたったんかいなあ。長い歴史のなか、火事や修復で改装が重ねられており、当時のままにオリジナルで残っているのはホワイトホールパレスの中でもこのバンケッティングハウスの一角だけだそうです。このバンケッティングハウスの宴会場は今も各国外交官とかの集まりやパーティにライブで使われておりますのですごいもんですね。中央に玉座がしつらえてあり、現女王陛下がご出席の折にはここにお座りになるんですわ。
ああ、もうため息のでるような、装飾と昔の王族の所有物を今も大切に生かして使っているイギリスという国に感激して、翌日曜日はご近所のモダンな建築見学。わがフラットから歩いて2分という通りにオープンハウスしている家があり、事務局で前もって予約をしておいたわたしはいち友人と二人でおじゃましました。時間が決められており、一度に二人までしか申し込めないのです。確かに、ふつうのおうちだからスペースも限られており、人数制限が必要なのでしょうね。ここは建築家ご夫妻が土地を買って、家は自分たちで設計して建てたという、とってもモダンなおうち。オープンキッチンに、ガラス窓の広い、機能的かつクリアな感じ。2階へ行く階段はシースルーになっていて、それが目玉らしいです。ウッドとコンクリをうまく組み合わせてあり、庭もシンプルだけど小奇麗にしています。しかし、この家族も太っ腹やね。ぜんぜん見も知らずの他人が、文字どおり土足で家を見学にくるんでっせ。しかもただで?建築に三年かかったと当時の写真を見せながらひとりひとりに説明してくれる奥様。ほんとに「住んでいる」うちだから家具もそのままだし、どうどうと他人の家を観察できるってのも不思議な気分。ふぅんとへんに感激して、2番目のおうちへ。
ここはこんなところにこんなスペースがあるんか、というほどの大通りをちと入ったところ。こちら写真家。下がだだっぴろーい倉庫のようなスタジオになっていて、上2階分が住居。屋上にルーフテラスまであります。向かいは公園なので、景色もいいし。つと入った大通りの喧騒がまったく感じられない静けさ。今日一日は見学のひとごみでざわざわしてるとしても。こちらもオープンキッチンの、ガラスの天井まで届く窓だし。モダン。どちらの家も、白と灰色が基調、それにガラスの透明とウッドの木目色がとりどりって感じ。
最後はカムデンのカウンシル(区役所)が70年代に建てたといういわゆる公団住宅の一角。これも吹き抜けのような、天井から明かり取りの温室のようになっていて、不思議な構造なのです。ルーフテラスあり。オープンキッチンも。20世紀後半のモダン建築って、モダン、オープンキッチン、ルーフテラス、がテーマなのね?
最後の家の住人の職業はわかりませんでした。こういうふつ~の(といっても建築家だし、カメラマンだし、ちと平民とは言いがたいが)ひとたちが、これほど地域社会とオープンハウスに貢献してるってのもすごいなあ、とまた感激。自分の家見せるったら、よっぽどよね。太っ腹やないとできませんわ。きれいにしとかんといかんし。自分の家に誇りがないとなあ。ほこりは掃除せなあかんが。
<いつもの資料室>
*ハットフィールドハウス ロンドン北部にあるエリザベス一世が幼少をすごした館。地味なんで
すけどね。17世紀の雰囲気がとってもレトロ。
「虹を持つ女王の肖像画」があります。「虹」は「わたしなしではこの国はおさまらない」と
いう権威の象徴とか。
*2)Duke of Marlboroughこの、公、侯爵、公爵、いろいろ称号があって、これもひとつの暗記の
勉強みたいなもんなんすが、また次回のお勉強時にね。詳しく。
*3)クリストファー・レン 17世紀の建築家。ダイアナ妃が結婚式をあげたセントポール寺院を、
1666年のロンドン大火のあと設計して建て直したのは有名。(それ以前の時代のこの寺
院にはドームがなかった!四角いアタマなの!)
*4)ジェームズ一世 エリザベス一世が世継ぎがなかったのを受け、血筋からスコットランド王と
イングランド王を継承、両国を統合。エリザベスにすれば女同志のいろいろ、ライバルのようだ
ったスコットランド女王メアリの息子を自分の跡継ぎにすることになったのです。歴史って皮肉
ね。メアリのお母さんがエリザベスのお父さんときょうだいという関係。英語ではcousin になって
いるが、はとこかしらん?やっぱいとこ?
((付録・簡単イギリス王室系図))中世以前省略。。。。これは改めてまたおべんきょしましょうね。 今回は、ばら戦争を終結したヘンリー七世くらいからはじめましょうか。おもろいし。ランカスター家の赤いバラ、とヨーク家の白いバラの王位継承をめぐるバラ戦争を、自分はランカスターの血筋、で、ヨーク家のお姫様エリザベスを妻にして、両家をまとめて、大義名分とともに自分は王として名乗る。テューダー朝の始まり。ヘンリー七世⇒ヘンリー八世(ヘンリー七世の次男)⇒エドワード六世(ヘンリー八世の長男)⇒メアリ(ヘンリー八世の長女)⇒エリザベス一世(ヘンリー八世の次女)
注の注)このヘンリー八世の3人の継承者はそれぞれ母が違う!
⇒ジェームズ一世(エリザベスのいとこメアリの息子、ここからステュアート朝)
⇒チャールズ一世(ジェームズ一世の長男) ⇒チャールズニ世(チャールズ一世の長男)
⇒ジェームズ二世(チャールズ一世の次男)⇒オレンジ公ウィリアム(三世)とメアリ二世(メアリはジェームズ二世の長女)⇒アン(ジェームズ二世の次女でメアリの妹)⇒ジョージ一世(ここからドイツからきたハノーヴァー朝。一世はイングランド王でありながらドイツ語しか解さなかった)⇒ジョージ二世⇒ジョージ三世(孫)⇒ジョージ四世 ここまで数字で簡単。ジョージ三世はジョージ二世の長男じゃなく、孫です。ジョージ二世にはフレデリックというPrince of Walesがいましたが、お父さんより先に死んでしまった。ジョージ四世のあと、その弟のウイリアム四世、このへんはそろいもそろっておとうちゃんとは似つかん晩婚、女たらしぞろい?愛人との子供はいても、正妻との子供が育たず、継承者が別に行く。ウイリアム四世の継承者がなく、姪のヴィクトリアへ。
ヴィクトリア⇒エドワード七世(ヴィクトリアの長男)⇒ジョージ五世(エドワード七世の次男)
⇒エドワード八世(ジョージ五世の長男、戴冠せず)兄貴がアメリカ人未亡人ウォリス・シンプソンと結婚して王位を辞退したため弟のジョージ六世(ジョージ五世の次男)⇒エリザベス現女王と。 はい、お疲れ様でした。 おとっさんと同じ名前は大体嫡男、変わるときょうだいかな。暗記目録にルールをぼんやりと見つけようとしているわたくし。次のにもこれ、出てきますのでね。覚えといてね。年号を覚えたら次は奥さんの名前よ。似たよな名前が多いので名前の種類は少ないがごっちゃになる。どこの出か、とね。アラゴンのキャサリン、デンマークのアンとかね。嫁さん2人以上いるひともいるしなあ。で、愛人(ミストレス)の名前まで覚えるともうあなたはイギリス王族歴史のプロ!かなあ?わたしゃ、エセ歴史家よ?
<ウエブ資料関係>
http://www.londonopenhouse.org/ ロンドン オープン ハウス
http://www.hrp.org.uk/ ロイヤル ヒストリカル パレス
来年のテーマは「駅」かな。ナイツブリッジやパディントンの駅の中の昔今の建築構造が見れるらしいんです。来年も公開してればね。一年限りの公開の建物もあるし。なかなか興味深いイベントです。ほんと。
2003年10月18日
© Mizuho Kubo , All rights reserved.. October, 2003
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