12 オリエント急行と競馬

たまには旅行会社の人間らしく、旅行の話でもしましょうか。突然にわけあって4月6日にオリエント急行でグランド・ナショナルというイギリスのスポーツイベントの中では最大のうちのひとつ国民的競馬の最終日に行く機会に恵まれました。
たかが競馬・されど競馬なのですが、競馬というと、日本では、けっこうコワソ~うなおっちゃんたちが(おっさん、と言いたいところだが、上品な関西人のわたしにははばかられるの)耳に赤ペンさして、競馬新聞もって、うろうろしているざわついたイメージですし、また、わたしが競馬に行ったっていうと、このおばはんが赤ペン耳にさして「ええ、にいちゃん、今日の穴馬はどれや?ええとこ、おせてえや」なんて聞いてるわたしの姿を想像されることでしょう。仁川の競馬場は行ったことないけど、近くに住んでたしね。
でも違うのよ。今回は。なんてったって、オリエント急行で参ったんでござりますですからね。
まず、オリエント急行。名前はご存知の方も多いでしょう。いまは物騒な中近東への旅も、19世紀後半には何日もかけて優雅に特急特別仕様豪華列車で。まさに当時は違う世界へ連れてってくれる夢の乗物でした。
3月終わりに大英博物館でやっていた「アガサ・クリスティと考古学」展にも行きましたが、彼女が最初の亭主と離婚し、その心痛を癒すため、休暇に出ようとかねてから憧れの「オリエント急行」でイスタンブールに行ったのが、二度目の亭主(考古学者で14歳も年下!)と、また、考古学と出会うきっかけとなったのです。「オリエント急行殺人」や「ナイルに死す」を書いたのもこの経験から。これらの推理小説の内容はミステリーの好きな方には説明不要でしょうけれど。映画にもなっています。
わたしも競馬に行ったし、競馬小説書けるかなあ。=余談。
で、話を戻し、そのオリエント急行はですねえ、しばらく運休されていたのが、20世紀にまた復活し、当時の姿そのままにまた現代の旅行事情を考えてうまくつくってあります。もちろんかって、アガサ・クリスティやその時代の上流階級の方々が旅行したような、何日もかけて昼はサロンカー、夜は寝台車となる長距離のものも今もありますが、ここイギリスでは日帰りのイベントがらみの企画がけっこう出ています。それこそ、ちよっと豪華なランチやディナーを楽しむための一日や、スポーツ・イベントの観戦、観光付きの一日もあります。基本はゆったりと、当時のオリエント急行の仕様の中で、豪華シャンパン付きフルコース・ランチやディナー・アフタヌーン・ティーを楽しむというコンセプトです。
それでは、実際にはどうだったか。オリエント急行で行くグランド・ナショナルにご案内いたしましょう。
朝7時15分に汽車は出ます。ともだちと朝7時にヴィクトリア駅の二番ホームの横にあるオリエント急行専用ラウンジで待ち合わせ。6時45分に駅に着いた、とっても几帳面なわたしは、おお、列車はすでにプラットホームに横付けされているのを確認し、ラウンジに。どんなやつらが(おっと失礼、どんなお方がたが?)いっしょに乗るんかいな、と待ってるひとたちをじっと見るのも失礼だからお上品にも見ないふりしてしっかり観察。
今回はテーマが「競馬」だからか、男性が多いような気がする。でも上品・渋い系でなくやはり賭博系か???日本人は他にいない模様。アメリカ人も少ないようだ。
何を隠そう、わたくし、オリエント急行に乗るのは今回三度目。なんてリッチィ!
今をさること、ん年前、クアラルンプールからバンコックの二泊三日のに乗ったわ。詮索される前に自分から言っとくと、これもおんなともだちとね。このときの体験談も書いてもいいけど、ひと巻できるので、まあ、いいとして、このときは初体験だったし、見るものすべて「すてきぃ」って感じで、乗りこむと三人のステュワードが入れ替わり立ち代り挨拶に来て、遅いティータイムの軽食。アジアで乗ったけど、タラップに踏み入れた時から、とっても英国式、しかも古き良き時代の英国風、と思いました。夜のとびきりおいしい三コース・ディナーのあと、サロンでタイ民族衣装に身をつつんだおねえさんの舞踊のアトラクションがあって、他のお客たちを観察する機会もあったけど、アメリカ人カップル(愛人か?)の女性がえらくアガサ・クリスティしてました。1920年代の世紀末ファッションというか、映画モノクロ写真そのままの雰囲気で、アメリカ英語でしゃべりまくっていたわねえ。
食料補給かに途中止まるちいさな駅では地元のこどもたちが線路の中までやってきて、残ったお菓子やお金をせがむ。それをえらそうに5ドル札とかを捨てるようにやっていたアメリカ人に同じアジア人として、少し腹がたったことでした。
イギリスに来てからはこれも機会あって、清々しい初夏の一日、サザンプトンまで行って船に乗る一日の日帰りツアーに参加しました。船といってもバージ(Sailing Barge)と言っていわゆるむかしなつかし帆船です。行きはコーチ(大型バス)で行き、テムズ河のクルーズを楽しんだあと、オリエント急行で帰るというものです。あと、ヴィンテージ・フライングというこれもむかしなつかしプロペラ機に体験の旅っていうのもある。
で、ですね、今回の競馬ははじめっからアクシデント。
7時10分なのに、まだ連れが来ない!どうしたことか、とプラットホームをうろうろ。
乗る車両がわからないのかと、ステュワードのおじさんが、聞いてくれる。
「ともだちがまだ来ないの」と言うと「まあ、中に入ってあったまりなさい、わたしが捜してきてあげよう」というのでとりあえず席につく。わたしたちの席は、個室でふつうは四人席なところにテーブルは二人用にセッティングしてくれています。落ち着いた栗色のくるみ材の上品な壁。丸いアンティーク朝の鏡と古めかしい真鍮様式の荷物棚。天井と壁のランプは花びらの形のぼんやりとしたあんず色がまた古めかしくてシック。窓にはベルベットのボルドー色のカーテンがたばねてあり、テーブルの上のランプのシェードの色とあわせてあります。テーブルの上には花瓶に花も飾ってあり、まさに動くレストラン。
どうすっかなあ、とぼんやり思っていると、するすると列車が動く。ええ~動いてる、発車してしまったんや、これ。すると連れのE はひょっとして乗り遅れ!えええええ~。
この豪華な一日がパ~???わたしはひとりさみしく競馬に行くのか?
とパニクっていると、先ほどのMr ステュワードと列車のマネージャーがやってきて、「あなたのともだちは今ヴィクトリアにいる」
はあ。
「で、今から彼女はユーストンに行って、ヴァージン・エキスプレス(路線列車)に乗り、リバプールで、わたしたちに追いつきます。ただこのオリエント急行はリバプールの通常の駅(ライム・ストリート駅)と違う駅に着くので、このステュワードがあなたをライム・ストリートまで連れていくので、他のお客様はコーチで競馬場に行きますが、列車が駅に着いてもあなたは車内に残っていてください。あなたはライム・ストリート駅で彼女と落ち合っていっしょにタクシで競馬場まできてください」
帰りのコーチの駐車場が競馬場から少し離れているということで地図まで書いてくれ、何時に今度はコーチまでもどるんだよ、と懇切丁寧に説明。
はじめは、ふんふんと説明を聞いていたが、そうか、勝手に競馬場まで行かないといけないんだ、どうやって行くんだ、どのくらいかかるんだ、おカネも時間も。とぐるぐるアタマのなかでギモンがいくつも回る。
なんで、わたしが彼女を迎えに行かないといけないのよ、彼女がこっちへ来て、いっしょにコーチで競馬場に行けばわたしは楽やん、と思ったが、そんなことをすると他のひとに迷惑がかかるのよね。そうか。日本だと、ぜんぶ人任せにできる常識が、こっちだと、やはり、自分のことは自分で責任をとる、ということですね。
タクシ代がいくらかかるのか、それを自分で払わないといけないのか、と。また彼女はこんだけ大枚はたいて参加した旅行費用とは別に、ローカルな電車代も払わないといけないのか、と思うと、ビンボウ根性がもやもやしてきました。そんなことでもったいない、とか思うひとはオリエント急行に乗る資格はないのかも。
とりあえず、彼女とリバプールで会えるということでちょっとひと安心。
思いなおしてせっかくの旅行、車窓のけしきを楽しむことにしました。さきほどから典型的イギリスのいなかの風景が車窓の外に展開されています。すなわち、緑の芝生と土地と樹木。羊さんが草を食む食む(はむはむ)している、の延々おる草原。おいしそうな生まれたて子羊ちゃんもおかあさんにひっついてたくさんいます。
ほんとイギリスって高低のない平坦な国だと思います。さっきから列車は風光明媚な運河沿いを走っているのです。運河にはカナルボートといって箱型で中に簡単なキッチンやソファがしつらえてある色とりどりのボートたちが優雅に浮かんでいます。週末をボートで楽しんでいるひとたちが、こちらを「ああ、オリエント急行が通っていくよ」というかんじでボートの甲板から見ています。のどかぁ。そう、この日は珍しくとっても天気が良かったのです。
さっきからコーヒーは何度も注ぎに来てくれるのですが、ついにブランチの支度が整い、遅い朝食が始まりました。まず、バックスフィズ。これはオレンジジュースにシャンパンを注ぎます。ふふ。朝からアルコール。飲んだくれのわたし。
デニッシュペストリーにパン。メインはスモークサーモンとクランぺット(パンケーキとマフィンのあいのこ、ちと分厚いパンケーキのよう)にチャイブ(あさつき)入りスクランブル・エッグ添え。
ま、たいしたこたないけど、E にはすごかったよ、と残念がらしてみよう。ほほほ。
週末のブランチは英国式ベーコン・エッグとパン(もしくは、たまに前日の残りのおにぎり)の我が家のメニューとそう、大差はないけど?
けっこうゆうっくりと食べ、参加者にくれる「本日の競馬新聞」を熟読して、どういうもんか勉強する。途中、必死で読んでいたら、コーヒーを注ぎにきた若いステュワードさんが、「どれに賭けるか決めた?」とってもフレンドリーなの。
反対にどれがいいのか聞くが、やはり、こういうことはこれっていう予想がない模様。さきほどの列車マネジャーとアシスタントにも聞いたけど、それぞればらばらのことを言う。やはり、自分のことは自分の判断で決めねばなるまい。
列車がやや都会的殺伐風景に入り、海のように大きなマージー河の鉄橋を越え、リバプールはEdge Hill という駅についに到着しました。お客様はみなお降りください。わたし以外。どうしたもんかと座席を立ったり座ったりしていると、わたしの窓の外を通りすぎながら、先ほどの列車マネジャーがこっちを見て人差し指を下に向けて「Stay there!」と言う感じで通りすぎる。
みなが降り、ひとりになったわたし。くだんのステュワードさんがやってきたので、やれやれ、これでやっとライム・ストリートまで連れてってくれるのね、どうやって行くんやろ、と腰をあげると、またもや「Stay there!」
なんと、わたしを乗せ、乗務員(とごみ袋)のみになったオリエント急行がライム・ストリートめざして出発したのでした。その間ほんの5分ほど。でも、その間なんとわたし一人の専用列車だったのです!まあ、まるで女王様かお姫様みたいじゃないの。ほっほほ。
駅に着き、ステュワード従え、プラットフォームに降りたつと、おったおった。盛装したE がプラットフォームの先に。
良かったあ。途中のクルー(Crewe)という駅で、ヴァージン・エキスプレスの庶民列車と横並びになり、「あれに乗ってるんかいな、ほんまに乗っとるんやろなあ。どこにおるんやろか」と思わず向こうの車両の内部を必死で見てしまいましたわ。向こうに乗っている庶民的乗客がこっちを見てやんやと窓からアタマ半分だして叫んでおったなあ。ほんとにしもじものものは。無礼なやっちゃ。彼女も庶民的列車の中からこちらを見、「ああ、あれに乗るはずだったのにィ」と思っていたそうです。
リバプールは駅の前に聖ジョージズ・ホールという年代モノのりっぱな建物があり(何物かは不明)なかなかの街構えっぽいです。ゆっくり観光する時間はなかったのでちと残念ですが、わたしたちは急ぎ競馬場に行かなくっちゃ。
タクシでエイントリー(Aintree)のレースコースまで乗りつける。はいはい、いっぱい人がおります。入り口でセキュリティ・チェックのため、並ぶ。並んでいるときから真っ赤な顔で、もう出来上がっております。団体で応援歌のようなものを歌っている輩もおります。サッカーかラグビーの試合のフーリガンのような様相のひとたちも。
アスコットに行ったことのあるE は、競馬場というとそういうお上品なイメージをお持ちだったようで「そのときほど盛装しているひとがいない」
そう言えば、雑誌やテレビで見るような華々しいお帽子におドレスという女性も少ないかな。オリエント急行で着いたわたしにはこの世界は格段に庶民的に見える。
さて、やっと中に入ると、一応わたしたちは、ロイヤル・プリンセス・スタンドのお席が用意されているのですね。ま、名前はいいんですが、中にバーなどがあり、客席は外でレースコースが見渡せるようになっています。屋根はあり、天気はいいのですが、4月も初め、風が強く、まだまだ寒いです。裸足にサンダル、タンクトップのひともいるけど。
レースは6レースあり、レース場と観客席のあいだ芝生の部分に私設の賭け屋さんたちがずらっと軒を?並べております。場内の窓口もあり(これは主催者のセクション)、そこでレースごとに始まる前に、何番のウマ、いくら、といって賭け番号の入ったレシートをもらいます。賭け方は簡単。単勝(Win)と複勝(Place)で、単勝は一位のみ。複勝は三位までに入れば勝ちです。
これって性格でるよねえ。石橋をたたいても渡らないきっちりとしたまじめ、冒険のできない性格のわたしは?確実な線で、ねらいました。いくらねらったって、低い掛け率のを狙ってもおカネはぐぐっとは増えないのよね。賭けるおカネもしれてるし。ま、わたしゃ、一生ミリオネアにはなれんな。
レースは日本と違って、平坦なところを走るわけではなく、何箇所かにハードルをしつらえてある、障害物競走です。ウマは騎手を乗せ、障害物のところで何度もジャ~ンプしながら走り続けねばなりません。見所は第四レース。なんと40頭ものウマが出ます。ただこれはいつもたいへんで、完走するウマがたったの4頭だったという歴史もあります。
第三レースでなんと、倍=£4 もどして気をよくしたわたしは、さて、第四レース。どれに賭けよっかな。
競馬新聞には各レースの参加ウマ、騎手のユニフォームの色合いと模様、ウマの調子、今までの成績、予想などが書いてあります。第三レースからは、ひとウマずつ、騎手に連れられ、出てきて、一回りお目見えし、軽くウォーミングアップします。それを見ながら、ひやあ、賭けたウマって、なんか、疲れてそう、とか。だめそう、とかわかってしまいますが。しかしなんてったって、レースは終わってみないとわからない。
40頭が一列に並び、さあ、スタート。スタート地点がちと遠いため、見にくいのですが、前の大スクリーン映像でなんとか、わかる。でも賭けたウマの騎手の色、模様なんか見えないよお。色で判断するしかないか。なんか、オレンジが出ておるなあ、しかし、賭けたのは緑と白の縞よ、とか。
あれええ。なぜか、一番前を走っているウマがちと違う。何が違うって?ウマだけ走ってる。どっかで騎手を落としてしまったらしい。でも、ウマはそのまま走っておりまする。もちろん、失格。しかし、おもしろいなあ。こんなことってあるのかしら。良く見ると一頭や二頭ではないのですよ。こうなると騎手の服のいろがないからどのウマなのか、まったく判断できない!ちなみにこの日の第四レースの完走馬は10頭だったそうです。
結果。五レース賭けて一勝四敗。まあ、楽しかったわ。
うまどしに本場イギリスの競馬を見に行くって、とってもウマいでしょ。
それとオリエント急行の夢を売る旅行。
帰りは無事集合時間より5分前に駐車場に戻りつき、皆と合流し、列車に戻りました。さて帰路は5時間かけて、5コースのディナー。シャンパンに始まり、ワイン白・赤飲み放題。
前菜はブイヤベースのゼリー寄せ。色がきれい。
続きましては、完熟トマトスープのウォッカ風味フレッシュクリーム添え。
メインはVenison (シカ肉)のブラックプディングテリーヌと野菜添え。シカは初めて食べたのですが仔羊とポークのあいのこのような味で、やわらかくおいしかったでス。
イングリッシュ・チーズの盛り合わせ。最後に、デザート。コーヒー。
おお、まんぞく。
夢の世界。降りると現実。安くはないがそれなりの価値があり、またお金ができたら乗ってみたいと思わせる。豪華なおいしい、のんびりとした一日。
そうそう、タクシ代も返してもらいましたし、Eは庶民列車の中で車掌に切符を聞かれたらオリエント急行のを見せて説明をして、だめだったら一旦払ってあとで払い戻しをすると豪華列車の係員に言われたそうですが、庶民列車の車掌のおにいさんは、それでOK してくれたそうです。だからイギリスって好き!

2002年4月16日                      
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..April 2002

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