19 ヴィクトリアン・クリスマス
またクリスマスがやってきます。
クリスマスの意味は、いまさら説明するまでもありませんが、イギリスも大きな意味でキリスト教の国、さまざまなところでさまざまな催しがあります。無信仰人のわたしも、教養学的興味から、いろんなことに首をつっこみますがロンドンでもクリスマス・マーケットあり、ロンドンの博物館や美術館でもクリスマス関係のイベントが増える季節です。
ハイドパークコーナーに Aspley House(アスプリィ・ハウス)というウェリントン卿のもと住まいを博物館にしている屋敷があります(V & Aヴィクトリア&アルバートミューゼアムの姉妹館といえます)。そこで毎年12月のはじめの週末の土・日は入場無料でヴィクトリアン・クリスマスと銘打ってのイベントがあります。ヴィクトリア時代のクリスマスを再現しようというもので、その時代の衣装に身を包んだ俳優さん準俳優さんたちが屋敷を生きた舞台にしてパフォーマンスしてくれます。
ことしのテーマに応じたトークなどもあります。手話の通訳説明つき。
19世紀なかば、ヴィクトリア時代の貴族の屋敷の執事や召使頭がどのようにクリスマス準備をするか?子供も楽しめるよう当時のエピソードを交えながらおもしろくおかしく工夫した体験ツアーに参加できます。
今イギリス各地で見られるいわゆるクリスマスの習慣はヴィクトリア女王の時代にできたもので、けっこう新しく?それ以前にはそういう習慣がなかったというのも驚きの発見です。クリスマスカードの交換、クリスマスツリー、サンタクロース、クリスマスクラッカー*またクリスマスケーキ*などという今や現代人におなじみのこれらの習慣も1837年以前には存在していなかったということです。
労働階級では年末のクリスマス休暇というものもなかったということで、昔のイギリス人って(今と違って!)働き者だったのね!
クリスマスディ25日の翌日26日が Boxing Day(ボクシングディ)で、イギリスでは25日に続き祝日ですが、これは上流階級の貴族などが使っている召使いに日ごろの感謝を込めてつけ届けをし、Box を開ける日という意味から始まったということです。
ヴィクトリア女王は1819年生まれ。伯父ウィリアム四世に嫡子がなかったため、姪の彼女が弱冠18歳(ほんとは若冠と書きたいとこですね。読んで字の如し若い冠なの)で王位を継承しました。在位は1938年―1901年。エリザベス一世のエリザベス時代と並んで「女王の時代イギリスは栄える」見本を作りました。
夫君のアルバート公はドイツ生まれ。ヴィクトリアの母ケント公夫人ヴィクトリアもドイツの生まれなのですが、ふるさとの習慣であったクリスマスツリーをイギリスに持ち込んだのは夫のアルバートだったのです。女王夫妻は仲むつまじく、当時のイギリス家庭の良き見本のように国民から親しまれ、アルバート公がウィンザー城に持ち込んだクリスマスツリーの習慣は瞬く間に民間にも浸透しました。さかのぼればジョージ三世の王妃シャーロットもドイツ生まれで、またケント公夫人もクリスマスツリーを好んで飾っていたそうです(このへんの王様の奥さんは代々みなドイツから来ています。ドイツとイギリスはこんなに近かったのね)。もしアルバート公がいなければ、今わたしたちが見られるような街路や家庭でのクリスマスツリーはイギリスでは見られなかったことでしょう。
山の中のもみの木を取ってきて、はじめはろうそくを飾っていただけのものが、いろいろな飾りがつくようになって変わってきたものです。
クリスマスカードは V & A の創始者ヘンリー・コール卿が発案し、1843年初印刷。当時の出版印刷技術と郵便制度とが、うまくかみあって、浸透し発展しました。
しかし、アスプリィ・ハウスの執事役が言うには当時のカードはとても高くて、10人に送っていたら郵送費あわせて当時の自分の一週間の給料分くらいだ、もっと下の召使になると一ヶ月分となってしまう、くらい高かったそうで、しもじもの者に浸透するにはもっとあとになるのかも。クィーン・メアリーのヴィクトリア時代初期のクリスマスカードのコレクションが大英博物館でも見られるそうです。
クリスマスを庶民にもっと身近にしたのが、おなじみディケンズの「クリスマス・キャロル」*。この本の中で、彼はクリスマスの楽しみ、クリスマスツリーにご馳走、サンタクロースとクリスマスプレゼントなどを紹介しました。はじめてのクリスマスカードが印刷された同じ年に出版されクリスマスの楽しみとともにクリスマスというものがディケンズの名とともに商業ベースに乗りはじめました。
クリスマスというのは宗教的意味あいから来ていますが、長く暗く寒いヨーロッパの冬を明るく楽しくあったかくする知恵でもあったのでしょう。
1870年、ディケンズが亡くなったとき、ロンドンのとある職人の娘である小さい女の子が言いました。「じゃ、サンタのおじさんも死んじゃったの?」
コベントガーデンではサンタのグロット=ログハウスが毎年作られ、子供たちがサンタのおじさんに会って望みを伝えることができるのです。クリスマス準備用の食材や関連商品のマーケットが出て、古き良き時代を感じることができます。
他にクリスマス関連のイベントとしては、クリスマス恒例のサマーセットハウスの中庭のアイススケートリンク場(人工)が始まっています。教会などではミサやクリスマスキャロル(賛美歌)のコンサートも開催されています。
この日のアスプリィ・ハウスでは、ヴィクトリア時代のひとたちが(主に貴族)いかにクリスマスを過ごしたか、というお話のあと、ウェリントン卿の執事、召使たちがみなで「アラジンの魔法のランプ」をパントマイムで当時の雰囲気のままに演じてくれます。そのあと、オルガンの伴奏でクリスマスキャロルを参加者みなで歌って、ヴィクトリア時代に戻った一日の終わり。
この世界がいつもクリスマスのように平和でありますように。あったかい気持ちになってハイドパークコーナーを後にしました。
帰りにトラファルガー・スクエアの巨大クリスマスツリーを見て、ああ、また今年も来たんだ、ノルウェイから。夕方にはもう暗いロンドンの冬の空に金色の光りがきらきらと輝いていました。
一日じゅうクリスマスだらけの12月の週末でした。
筆者注)
クリスマスクラッカー
クリスマスパーティなどで、ふたりで両端を引っ張りあいします。「ポン!」と音がして、勝った方のひとに中身が入って登場します。中身はいろいろですが、細い筒の中にキーホルダーやおもちゃなどがいれてあり、紙製の王冠などがいっしょに入っていて、それをかぶって、みな、キングとクィーンになってクリスマスディナー(これは通常25日の遅いお昼の会食のことを言う)を食べたりします。クリスマスクラッカーの大きさ、デザインはいろいろあり、見ているだけでも楽しいです。
クリスマスプレゼントをツリーの下におき25日に開けるのも、ヴィクトリア時代から始まったということです。東欧の一部の国では、プレゼントは24日に開けるそうです。
クリスマスケーキ
これは日本でいうスポンジ台で生クリームやイチゴの飾り付けのものとはぜんぜん違います。クリスマスプディングというのもあって、こっちは爆弾のように丸いのですが、中の台はこれとほぼいっしょで、こってりしております。オレンジやレモンの皮を乾燥させリキュール、ブランデーなどで甘く漬け込んだドライフルーツをいっしょに焼きこむ黒いフルーツケーキが台です。それにクリスマスケーキは上にたっぷりと白や色をつけた砂糖のアイシングをかけるのです。あああ、甘。
「クリスマス・キャロル」
ヴィクトリア時代の作家チャールズ・ディケンズの代表作。って筆者はまだしっかりと読んだことがない。2年前かにこのアスプリィ・ハウスで子供向け朗読を聞いて半分寝ていた。想像と創造で説明するのもなんなのでみなさん、この機会に読んでね。ごうつくな金貸しのおっさんがクリスマスに改心するとかいうこころあったまる話だったと思うけど。
I wish you all a Very Merry Christmas and a Happy New Year!
2002年12月15日
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..December, 2002
クリスマスの意味は、いまさら説明するまでもありませんが、イギリスも大きな意味でキリスト教の国、さまざまなところでさまざまな催しがあります。無信仰人のわたしも、教養学的興味から、いろんなことに首をつっこみますがロンドンでもクリスマス・マーケットあり、ロンドンの博物館や美術館でもクリスマス関係のイベントが増える季節です。
ハイドパークコーナーに Aspley House(アスプリィ・ハウス)というウェリントン卿のもと住まいを博物館にしている屋敷があります(V & Aヴィクトリア&アルバートミューゼアムの姉妹館といえます)。そこで毎年12月のはじめの週末の土・日は入場無料でヴィクトリアン・クリスマスと銘打ってのイベントがあります。ヴィクトリア時代のクリスマスを再現しようというもので、その時代の衣装に身を包んだ俳優さん準俳優さんたちが屋敷を生きた舞台にしてパフォーマンスしてくれます。
ことしのテーマに応じたトークなどもあります。手話の通訳説明つき。
19世紀なかば、ヴィクトリア時代の貴族の屋敷の執事や召使頭がどのようにクリスマス準備をするか?子供も楽しめるよう当時のエピソードを交えながらおもしろくおかしく工夫した体験ツアーに参加できます。
今イギリス各地で見られるいわゆるクリスマスの習慣はヴィクトリア女王の時代にできたもので、けっこう新しく?それ以前にはそういう習慣がなかったというのも驚きの発見です。クリスマスカードの交換、クリスマスツリー、サンタクロース、クリスマスクラッカー*またクリスマスケーキ*などという今や現代人におなじみのこれらの習慣も1837年以前には存在していなかったということです。
労働階級では年末のクリスマス休暇というものもなかったということで、昔のイギリス人って(今と違って!)働き者だったのね!
クリスマスディ25日の翌日26日が Boxing Day(ボクシングディ)で、イギリスでは25日に続き祝日ですが、これは上流階級の貴族などが使っている召使いに日ごろの感謝を込めてつけ届けをし、Box を開ける日という意味から始まったということです。
ヴィクトリア女王は1819年生まれ。伯父ウィリアム四世に嫡子がなかったため、姪の彼女が弱冠18歳(ほんとは若冠と書きたいとこですね。読んで字の如し若い冠なの)で王位を継承しました。在位は1938年―1901年。エリザベス一世のエリザベス時代と並んで「女王の時代イギリスは栄える」見本を作りました。
夫君のアルバート公はドイツ生まれ。ヴィクトリアの母ケント公夫人ヴィクトリアもドイツの生まれなのですが、ふるさとの習慣であったクリスマスツリーをイギリスに持ち込んだのは夫のアルバートだったのです。女王夫妻は仲むつまじく、当時のイギリス家庭の良き見本のように国民から親しまれ、アルバート公がウィンザー城に持ち込んだクリスマスツリーの習慣は瞬く間に民間にも浸透しました。さかのぼればジョージ三世の王妃シャーロットもドイツ生まれで、またケント公夫人もクリスマスツリーを好んで飾っていたそうです(このへんの王様の奥さんは代々みなドイツから来ています。ドイツとイギリスはこんなに近かったのね)。もしアルバート公がいなければ、今わたしたちが見られるような街路や家庭でのクリスマスツリーはイギリスでは見られなかったことでしょう。
山の中のもみの木を取ってきて、はじめはろうそくを飾っていただけのものが、いろいろな飾りがつくようになって変わってきたものです。
クリスマスカードは V & A の創始者ヘンリー・コール卿が発案し、1843年初印刷。当時の出版印刷技術と郵便制度とが、うまくかみあって、浸透し発展しました。
しかし、アスプリィ・ハウスの執事役が言うには当時のカードはとても高くて、10人に送っていたら郵送費あわせて当時の自分の一週間の給料分くらいだ、もっと下の召使になると一ヶ月分となってしまう、くらい高かったそうで、しもじもの者に浸透するにはもっとあとになるのかも。クィーン・メアリーのヴィクトリア時代初期のクリスマスカードのコレクションが大英博物館でも見られるそうです。
クリスマスを庶民にもっと身近にしたのが、おなじみディケンズの「クリスマス・キャロル」*。この本の中で、彼はクリスマスの楽しみ、クリスマスツリーにご馳走、サンタクロースとクリスマスプレゼントなどを紹介しました。はじめてのクリスマスカードが印刷された同じ年に出版されクリスマスの楽しみとともにクリスマスというものがディケンズの名とともに商業ベースに乗りはじめました。
クリスマスというのは宗教的意味あいから来ていますが、長く暗く寒いヨーロッパの冬を明るく楽しくあったかくする知恵でもあったのでしょう。
1870年、ディケンズが亡くなったとき、ロンドンのとある職人の娘である小さい女の子が言いました。「じゃ、サンタのおじさんも死んじゃったの?」
コベントガーデンではサンタのグロット=ログハウスが毎年作られ、子供たちがサンタのおじさんに会って望みを伝えることができるのです。クリスマス準備用の食材や関連商品のマーケットが出て、古き良き時代を感じることができます。
他にクリスマス関連のイベントとしては、クリスマス恒例のサマーセットハウスの中庭のアイススケートリンク場(人工)が始まっています。教会などではミサやクリスマスキャロル(賛美歌)のコンサートも開催されています。
この日のアスプリィ・ハウスでは、ヴィクトリア時代のひとたちが(主に貴族)いかにクリスマスを過ごしたか、というお話のあと、ウェリントン卿の執事、召使たちがみなで「アラジンの魔法のランプ」をパントマイムで当時の雰囲気のままに演じてくれます。そのあと、オルガンの伴奏でクリスマスキャロルを参加者みなで歌って、ヴィクトリア時代に戻った一日の終わり。
この世界がいつもクリスマスのように平和でありますように。あったかい気持ちになってハイドパークコーナーを後にしました。
帰りにトラファルガー・スクエアの巨大クリスマスツリーを見て、ああ、また今年も来たんだ、ノルウェイから。夕方にはもう暗いロンドンの冬の空に金色の光りがきらきらと輝いていました。
一日じゅうクリスマスだらけの12月の週末でした。
筆者注)
クリスマスクラッカー
クリスマスパーティなどで、ふたりで両端を引っ張りあいします。「ポン!」と音がして、勝った方のひとに中身が入って登場します。中身はいろいろですが、細い筒の中にキーホルダーやおもちゃなどがいれてあり、紙製の王冠などがいっしょに入っていて、それをかぶって、みな、キングとクィーンになってクリスマスディナー(これは通常25日の遅いお昼の会食のことを言う)を食べたりします。クリスマスクラッカーの大きさ、デザインはいろいろあり、見ているだけでも楽しいです。
クリスマスプレゼントをツリーの下におき25日に開けるのも、ヴィクトリア時代から始まったということです。東欧の一部の国では、プレゼントは24日に開けるそうです。
クリスマスケーキ
これは日本でいうスポンジ台で生クリームやイチゴの飾り付けのものとはぜんぜん違います。クリスマスプディングというのもあって、こっちは爆弾のように丸いのですが、中の台はこれとほぼいっしょで、こってりしております。オレンジやレモンの皮を乾燥させリキュール、ブランデーなどで甘く漬け込んだドライフルーツをいっしょに焼きこむ黒いフルーツケーキが台です。それにクリスマスケーキは上にたっぷりと白や色をつけた砂糖のアイシングをかけるのです。あああ、甘。
「クリスマス・キャロル」
ヴィクトリア時代の作家チャールズ・ディケンズの代表作。って筆者はまだしっかりと読んだことがない。2年前かにこのアスプリィ・ハウスで子供向け朗読を聞いて半分寝ていた。想像と創造で説明するのもなんなのでみなさん、この機会に読んでね。ごうつくな金貸しのおっさんがクリスマスに改心するとかいうこころあったまる話だったと思うけど。
I wish you all a Very Merry Christmas and a Happy New Year!
2002年12月15日
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..December, 2002
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