1 ニューヨークのショック

読者のみなさま。

  なんちゃって。なぜこんなことになったか?またゆっくりメールしますが、とりあえず。
「ロンドンきまぐれ便り」第一弾と題して。ちよっと、だまってるにはエネルギーがたまりすぎるので、書かせていただきました。読んでちょ。

ニューヨークのショック

9月11日ロンドン時間ゆるやかな午後3時。
「ツインタワーがふっとんだ」という同僚の言葉に、何があったのかわからないまま、話を聞いていると心臓がわなわなふるえてきました。
「戦争だ」
「アメリカがこのまま放っておくわけがない。しかけるで」
「遠い日本を離れてこんなとこで死ぬのはやだ」
いろんな思いがこのわたしのちいさな胸を走馬灯のように、よぎりました。
死ぬと思ったのはこのわたしの短い?人生の中で二度目です。

一度目は95年の関西大震災のとき。宝塚にいました。
木造モルタル築35年の5階建て公団住宅の4階で、揺れた揺れた。ってなもんじゃない。
「きゃあ、わたしは死ぬかもしれない。まだやりたいこといっぱいあるのにこのまま死んじゃうの」
って、ほんの20秒ほどの揺れのあいだに布団の下で思いました。
その朝やっとあたりがしらじらと見えるほどになってから、電気がまず復帰し、まずつけたテレビの報道で、わたしが昔いた旅行会社のオフィスがある神戸のあたりや、見なれた西宮のハイウエイの景色が目も当てられないほど瓦礫と化し、火事で焼け野原になってている映像を、半狂乱に興奮して声を張り上げ、実況中継しているニュース番組のレポーターの声が、いやに耳障りだったのを覚えています。
通勤に使っていた阪急今津線の仁川から西宮北口までの三駅ほどをいつもなら電車で20分ほどの距離を、線路の両側につぶれた家並を左右に見ながら自分の足で歩くとゆうに1時間。
右に左にぺしゃんこになった木造住宅やかたむいたマンションが点在しています。
「家って簡単にくずれるんや」
「ひとって簡単に死ぬんや」

今回のテロ事件はそれ以上のショックです。
地震は天災です。わたしは無神論者ですが、神のみぞ知る。予測のできない自然の摂理。
予知とかできたとしても、科学が発達しても、その通りにはならない、自然の摂理。
でも、これは、このテロの破壊行為は人災です。ひとがいなければ起こり得なかったことです。
だれが予測できたでしょうか。でも防ぐことはできたはずです。
だれがやったんでしょうか。だれかがやったことです。原因があるのです。それは人間です。人間が人間を殺したのです。それも一般市民を巻き添えにして。
いや、やつらは人間ではないのかもしれない。
おいおいわかってくるのでしょうが、トニー・ブレアが表現した「evil」という言葉は適切かもしれません。
辞書でひくと、「悪魔・悪霊・邪悪なもの」
そう、人間ではない邪悪な別世界の生き物(一緒に死んでしまったが)なのです。
さすがにブレア氏の演説は感動しました。
わたしがとくに感心したのは、
「これはアメリカ合衆国とテロリズムとの戦いではなく、自由と民主主義世界とテロリズムとの戦いである」
それに比べてG. W.ブッシュの貧相なこと。アメリカ英語とイギリス英語の違いというのもあるかもしれませんが、ひごろ反アメリカ(というとテロリストに入れられるかなあ。でもわたしは平和主義者でもあります)イギリス大好きのわたしにはそういう風に思えるのかもしれませんが、大統領の威厳がまったく感じられない。
「強く無敵のアメリカは絵にかいたもち」と言われても、しかたないでしょう。
オフィスの英人同僚が、冗談で、WW.3 (ダブリューダブリュー、ドット、スリー)=World War 3。もちろん、www..ブッシュをもじって言葉遊びしているのです。
その日は、ロンドンにも行方知れずになっているハイジャック機が落ちるかもしれないなどと言うデマが飛んで、市内に居たら危ないというので、早々に帰宅しました。
ほんとうに戦争になってしまうのか。
戦争を知らない世代のわたしたちでも戦争がいかに邪悪なものであるか、これ以上悲惨なことは思いつかないくらい悲惨なことをわかっています。
なぜ、その悲惨なことを始めようとするやからがこの世に存在するのか。わかりません。
どうしてみな「なかよく楽しく」できないのか。
言葉がちがうから、皮膚の色が違うから、宗教が、信じているものが違うから、ということでけんかしたいのか。けんかするより、仲良くするほうがずっといいと思う。そう思いませんか?
イスラム原理主義かなんかしらんがほんと、ええかげんにせえよと言いたい。イスラム教(基本的な意味での)を少し、かじったことのあるわたしには、どうしても、マホメットはテロリストを育てるためにイスラム教を問いたんではないと思う。
彼がはじめたころは戦争のあとで、貧しいひと、夫を戦場でなくしたおんなたち・父親を戦場でなくしたこどもたちが多く、そういうひとのために、家族として男は4人まで妻を持っていい(ただし、4人持つためにはそれぞれのおんなを平等に扱わなければならない、扱えないのなら、やめとけ)とか、悲惨なこころたちを救うために、教えを説いたということだったはずです。
もし犯人がイスラム教徒であるのなら、意味を取り違えてるよな。絶対。
お師匠さんが、おまえらのやってることを見てたら、墓場の影?で泣いとるで。ほんまに。
インシャーアッラーって神の名前を呼ぶことさえふとどきやで(すんません、興奮するとついお国のことばが)。
なんて、言うのは儒教か仏教の感情で、通らないかしら。
宗教は人間がつくったものでしょうが、どの宗教も、ひとを救うために始められたもので、ひとを殺すためにつくられたものではないと思います。

旅行業は平和産業です。
不況にも弱いでしょう。生活にあくせくしているときに、どっか旅行でも行こうか、なんて、考える余裕がないですよね。
20世紀でも戦争があったときに即座に影響を受けたのは旅行業界です。イラン・イラク戦争のときは日本で旅行会社に勤めていました。
その遠い中近東の争いにも、繊細な日本人旅行者は影響されます。
不予不急の旅行はするなとのお達しでみんなエアチケットなんて買いません。こんなときにふとどきな、ってなもんです。
今回も、二日間イギリスからアメリカ・カナダへの便は飛行機がまったく運航されませんでした。
一般のお客様にはそんなに影響はなかったと思います。けれど、ヨーロッパに遊びに行く、日本に帰るフライトでも心配されてキャンセルしたらどうなるのか。問い合わせに対処しなくてはいけません。
飛行機に乗りたくない心情はわかります。
お仕事で行く方が、たいへんです。報道関係の方の取材旅行の手配でたいへんでした。
すぐに飛びたい、でも飛行機は出ない。予約するにも席がない、キャンセル待ちをかける、空席のある路線をさがす、でも飛ぶかどうかはぎりぎりまでわからない。飛ばない可能性の方が高い。
やっぱり飛ばなかった。また席のさがしあい。
このときほど、平和な時代をなつかしい、と思ったことはありません。
おいおいテロの犯人はだれか、わかることでしょう。そうしたとき、アメリカがどうするのか。次はなんだ?とみな思っているでしょう。
朝起きるたびに、知らない間に戦争が始まっていたらどうしよう、と思いながら、テレビをつけます。こんな、精神的ストレスを与えてくれる、テロリストに怒りを覚えます。
この超過の仕事などに対するつけをテロリストに払ってほしい、請求書送りたいわ、と言うと、英人の同僚に「そんなこと言ったら、爆弾くれるで」(もちろん、彼は大阪弁で言ったわけではないことは彼の名誉のために言っておきましょう)と半ばジョークで笑って言われました。
もひとつのジョーク。
イギリスはずっと IRA (アイルランドの反イギリス主義テロリスト)のテロ行為(爆弾さわぎ)に悩まされています。ま、原因は自分にあるとはいえ、これもまた宗教的争いが根本にあるとわたしなど無信仰のものでもわかります。
同僚はイギリス人です。彼いわく、「 IRA の方が、まだ、Polite(礼儀正しい)」
なぜかと言うと IRA はちゃんと5分前には予告してくるっつうの。
あのなあ、テロに礼儀正しいも不躾もあるかって。

最後に。
今回の奇襲を「真珠湾攻撃」になぞらえてメディアでは言われました。パールハーバーの再来だ。ちよっとお、映画をプロモートするためにしかけたんやないやろねえ。ま、日本人には不人気だったみたいですけど。あの映画。わたしは見るのもなんかいやで、まだ見てません。
戦争のすべてを否定したいところですが(戦争という特殊な状況の中では軍隊ときちがいしか存在しない)、日本のかみかぜは民間人を襲ったわけではないでしょう。あくまで戦争、として攻撃だったはず。
それをひきあいに持ってきて、日本人の感情を損ねるとは思わないのでしょうか。
パールハーバーのときはお返しに原爆で、日本人をやっつけた。だから今度はアフガニスタンに原爆を落とす。などなど。。。なんて短絡的!血で血を争って、何が解決すると言うのでしょう。
平和がずっと続くことを望まないひとがいることが不思議です。
巻き添えになって亡くなられたたくさんの方々のご冥福をお祈りしてロンドン便り・第一弾(あ、ちよっとこれ、不謹慎かな)は終わらせていただきます。 

2001年9月13日                 

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