最後たいへん、ヴィチェンツアからヴェネチアまで

オリンピコ劇場
Teatro Olimpico
7月17日(火)
ミズリーナをあとにし、パドヴァに近い、世界遺産の町、ヴィチェンツア Vicenzia を目指します。せっかく借りた先頭車のナビ(リーダー運転)が使えなくなるというアクシデントがありましたが、わたしの iPhone の GS がナビ代わりに使えたために、我が車が先頭になりました。

山道をくるくる降りて30分ほどで、突然渋滞。この山道でなんで渋滞?と思っているとどうも20メートルほど先で事故があったようで、全部止めてます。バイクと車がぶつかったようで、救急車とパトカーが相次いで来るなか、足止めくらいました。ほかの道も山の中で迂回は無理なので、待つこと30分。やっとクリアになり、また発進。



13時40分 3台とも迷ったあげくヴィチェンツア到着
GS ナビは携帯なので、ずっとオンにしていたためか、バッテリーが切れそうになりました。ラップトップにつなげ、充電するというワザを教えてもらったのですが、なかなか大変。道も町中に入るとやはり、むつかしい。坂道発進が極力たいへんなこの車、山の中でもないのに、たいこ橋でエンスト。駅を目指すも反対方向に行ったりして、やっとー。他の2台とも合流できました。


鉄道駅です。
列車に乗ったわけじゃいけど
集合場所としてわかりやすい場所なので

「門」があります
時間はあるようでないので、各自観光。
運転手の方々はやはりお疲れのご様子で、食事に。食事組と観光組に分かれたようです。わたしはいつもは花より団子なんだけど、せっかくだから見たい、と思い、観光にまわりました。ここはパドヴァ生まれの16世紀の大建築家、アンドレア・パッラーディオの建物が多く残る町なのです。1994年にパッラーディオ建築が世界遺産に登録。
アンドレア・パッラーディオ Andrea Palladio (30Nov.1508 – 19Aug.1580)

パッラーディオと聞くと、ロンドン南のチジック・ハウスを思い出します。
イギリス人もイタリア趣味の貴族が多く、Chiswick House  Neo Palladian 様式と言われていますが、パッラーディオ風の丸屋根に内装も残る、建物です。このパッラーディオの様式を持ち込んだイギリスの著名な建築家、イニゴ・ジョーンズ*の影響を受けているそう。*Inigo Jones (15 July 1573 – 21 June 1652)
 と話がまたどんどん広がっていくのでこのへんで。やはりヨーロッパはひとつだー。

絵はがきまでくれた
話戻して、この日は他の仲間とオリンピア劇場とあと2つほどミューゼアムに行けたくらいですが。有名なミューゼアムは閉まってて残念(チエリカティー宮殿)。
オリンピコ劇場で入場券、買ったら6つのミューゼアムにいける共通券だったので、貧乏根性だして、3つまわったわけです。
オリンピコ劇場は彼の作品。オペラの劇場として使われていたようです。


塔はどこにでもあるが
シニョーリ広場の塔

ヴェネチアが近いって雰囲気?
ヴェネチアの傘下だったしなあ。当然か。

教会もいっぱい

チエリカティー宮殿
パッラーディオ
ミューゼアムになってるも閉まってた

オリンピコ劇場
パッラーディオ


食べてる暇ないよー。車の中でビスケットでも食べよう、と思ったのに、これがまたあとの事件で食べるひまなく、この日は夜もなしー。最終的には。
劇場の中です

天井も

なかなかいいわねー


















美術館の中 モザイク

床です

この方が
アンドレア・パッラーディオ
このかたです

大聖堂

中はモダンでした
表はこんな
手芸屋さん
午後4時、車を駅の駐車場に置いているのでヴィチェンツア駅集合してヴェネチア空港に向け出発!!
駐車場のチケットの機械がこれまた、ちゃんと動かないという小アクシデントもあったけど、こんなん、小さえ、小さえ(だった。あとから考えると)。清算せず、車に直接行かれたかたもいらしっしゃいましたがー。イギリスと同じと思うのですがー。
ちなみに駐車料金は3時間で、3.90 ユーロ。





レンタカーの故障の赤裸々な実話を披露しましょうー。
ヴィチェンツア鉄道駅を出たあたりから、アクセルがかからないと運転手が告白。このまま高速に入ってスピードが出せるのか不安だったそうです。もともと、初日に借りたときからマニュアル車の操作がしにくく、エンストを起こしていました。特に坂道発進が調子悪かったみたいです。くねくね山道ののぼりがはらはらどきどき。前がとろいバスなどだと、途中で止まりそう~。きょわい。

イギリスで右ハンドルに慣れてる方はどうも、右に寄るみたいで。助手席のわたしは右から岩がせまってくるのを横目で見ておりましたー。たら〜。この後、ガードレールをするっと、こすりました。ドアにずずーっと線が。。。(保険はフルでかけるにこしたこたないよー。特にイタリアではね)過去2年の山行きのギリシャでもシチリア(イタリアの)でも同じような経験しました。山道の右側にガードレールがないところもあり、マジできょわいよー。今だから笑い話。

オーロンゾの山小屋到着時には駐車場へはいる坂道(のぼり)でエンスト。
車が黒煙をあげていたと衝撃の目撃者まで。
ヴィチェンツアに入る折、たいこ橋で坂道発進になってしまった折もこげくさい臭いがしていました。なので、がたがきてたんでしょうね。もうあと1時間くらいで返せるときにエンコ。力尽きてしまったようです。ヴィチェンツアを出発して20分ほどでグリシニャーノ・ディ・ゾッコGrisignano di Zoccoというところで高速に上がり、2台で走っていたのですが、あかん、とストップ。この地名はあとでもでてきます、忘れられない名前となりました。まだ、パドヴァの手前です。

道路のわきに寄せられるところがあったので停車できましたが、うーん。もうだめ。動かん。2台目はすぐ後ろにいたので、つけてたのですが、速いリーダーの車はどっか行っちゃったよー。高速に入ったらもうナビはいらんと本来のスピード狂に戻ったな?わたしたち置き去り。

さあー。こっから絵なしで長いよー。
聞くも涙話すも涙のお笑い話だよーん。

ともあれ、レンタカー会社に電話するも、なかなか出ない!やっとつながったと思ったらでたひとはイタリア語しかわからんみたい。英語のわかるひとは?と聞くと、ちょっと待って、と言ってしばらく待たされあげく、切られちゃった。え〜!切るなよ〜で、またかける。

なんとかつながり、少ない語彙のイタリア語でまくしたて、英語まじりで説明する。
オレンジ色の牽引車が来るまで待て、ということで、やれやれ。待つしかないか。
ラップトップから電源をもらって携帯電話を充電してましたが、前半GSをずっと使いっぱなしだったし、いつバッテリーが切れるか、電話が使えなくなったらどないしょ〜と、これまた冷や汗もんでしたし〜。
こんなことならもっとイタリア語を真剣に勉強しておくのだった。
2度の電話のあと、トラックよこすから待っておれ、ということで、場所を言うのに、グリシニャーノとパドヴァの間、と一生懸命場所の確認してたんですが、必要ない。高速の50メートルごとにある白い標識のアルファベットと数字を聞かれ、それで場所が確定するみたいです。かしこい!

レッカー車トラックは待つこと25分くらいですぐ来たので、もう一台の車は先に行ってもらうことにしました。こちらの運転手とわが組の運転手が本日の夜の飛行機で帰英だったので、別の運転手を交換するということも考えましたが、レッカー車が来たときに事情徴収に必要かもしれないとそのまま続行(結果、いらなかったんだけど)。


ここで5時くらい。
レッカー車に車ごと乗せられ、高見の見物。レッカー車に乗るなんてお初~。喜んでる場合か。このままヴェネチアまで行ってくれると思いきや、途中もう一台の故障車をもピックアップし、後ろにつないで2台でぞろぞろ。ガソリンスタンドで給油休憩しました。もう返すんだからいいんだけど、満タンで返すのが基本だし、まええかと。
75ユーロ払って満タン。ちょっとまてよ、これってガス欠と間違われてる?ここで置いてかれても困るよなあ。レッカー車の運転手に聞こうにもこのおっちゃんは英語がよくわからんみたい。オフィスに電話してくれ、英語のできるひとと話すと新たな事実がー。

このレッカー車はグリシニャーノの工場に入ってわたしたちの車は今晩オーバーナイトで修理するんだと。じゃあ、人間はどうなるわけ?だいいち、グリシニャーノだとこっからヴェネチアとは別方向に戻るわけでしょう。ひとり(実は運転手)は今夜の飛行機でロンドンに帰らないといけないのです。ほかの3人は明日のフライトだからいいんだけど。

そのひとはレンタカー会社委託の修理工場のひとなので、それはわかんない、わたしどもは修理工場までお連れするだけなので、そこから先は関知せず。タクシででも戻れば?だって。タクシーって、その費用はどうなる?それだって、関知のところではない、わかんないからレンタカー会社に聞けって。
そうよね、自分の範囲でしか仕事しないわけよね。
かくて客が右往左往せねばならんのだ。
再度レンタカー会社に電話すれどもすれども通じないんですね。これって24時間緊急対応番号のはずなのに。

その間もレッカー車は無言で(ま、会話でけへんので)運転を続け、どうもパドヴァ方面へと行くようです。すなわち工場があると行っていたグリシニャーノとは反対方向。
パドヴァで列車をつかまえてヴェネチアに行くか。でも直で列車があるのかわかんないし、時間もー。2分おきってことはありえないだろうし。いや、20分に一本あるかどうかもわからんよなー。

レッカーの運転手とはしゃべれない状態だし、のろのろ高速を降り、パドヴァ郊外の小さな工場のようなところで、後ろの故障車をはずしたら、また出発の模様。どうなってるの?

だから、グリシニャーノに行くんだよ、って。えーまた、こっから、戻るの?

ひとり(実は運転手)は今夜の飛行機でロンドンに帰らないといけないのです。ほかの3人はわたしも含め、明日のフライトだからいいんだけど。

レンタカー会社とはいまだ連絡が取れないので、すでにヴェネチア空港に到着したリーダーの車に連絡を取り、タクシ代をレンタカー会社が負担してくれるのか聞いてもらう。これも大変で、空港のカウンターは長蛇の列らしいし、やっと係と話しができるも24時間緊急電話番号に電話しろの一点ばりらしい。そこがつながらないから頼んでるんやろー。すったもんだの上、領収書をもらったら払い戻してくれるということがわかり修理工場からタクシで空港へ行くことにします。おっちゃんがタクシ呼んでくれると言うので、またレッカー車の旅。いつになったら到着するんやろー。

この時点ですでに7時すぎ?
ひとり(実は運転手)は今夜の飛行機でロンドンに帰らないといけないのです。ほかの3人はわたしも含め、明日のフライトだからいいんだけど。

飛行機は9時40分発なので、さいあく、1時間前チェックインで大丈夫かなー。
オンラインチェックインはすでにしてあるから、いきなり、出発ゲートのセキュリティーに行って、1時間切ったらゲートを見極めてから、走るのよ、と指南。
搭乗券のプリントもすぐ出るよう用意して。こっから1時間もかからないはずだけどー。搭乗者はすでにあきらめムードでしたが。グリシニャーノこれも郊外のでかい修理工場に到着。高速に上がって2時間以上かけてまたもとに戻ったのでした。笑)えんよなーこれ。
タクシを待って、来たのが7時半ごろ?かな。運ちゃんに、いそいで、いそいで。
8時半までには到着しないといけないー。と焦らせる。

ひとり(実は運転手)は今夜の飛行機でロンドンに帰らないといけないのです。ほかの3人はわたしも含め、明日のフライトだからいいんだけど。

とろいレッカー車とは違い、さすがタクシ。どんどん飛ばしてくれ、幸か不幸か遅くなったおかげで先の車たちのようにラッシュアワーもなく、8時には空港到着!!!
やったー。30分で到着したぞ。あの、2時間はなんだったのー?

90ユーロを払い、領収書をもらって、みなの待つカウンターへ。車もわたしたちも、マラソン選手のようでしたね?無事合流でき、よかったー。レンタカー会社の返却手続きを済ませ(車はないし、高速代も払わずにすんだ。。。)、とろとろやってるところを、彼は飛行機に乗らないと行けない!と途中で切って、挨拶もそこそこに、追いやりました。やれやれ。
ひとり(実は運転手)は今夜の飛行機でロンドンに帰らないといけないのです。
高速のチケットでっせー

今だから言えるけど、「ま、なんとかなるもんや」。
手前味噌ですんません。みなに落ち着いてちゃっちゃと処理してくれた、と褒められましたが、内心どうしたらいいのか冷や汗もんだったんですよー。実は。今日中にヴェネチアへ到着できるのか、と危ぶんでいたのです。顔にはだしませなんだが。
車のことはわかんないから、わたしの説明不足でまとを得てなくて、間違った処理をされてたらどーしよーとか。はじめから、車が動かないから、代わりの車をすぐ、よこしてや、と言ったらよかったのかなーと。まあ、結果として、タクシで帰れたから良かったのかも。良いように考えよう。終わりよければすべてよし。それも楽しい経験だったと思える今日この頃。みなさん、お疲れさまでした。まだ、旅は続くんだけどねー。

© Mizuho Kubo , All rights reserved.., August, 2012

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