リゴレットの舞台・マントヴァ

テ宮殿
8月になってしまいましたが、やっと連載始めましょぅ〜。
マントヴァ(で、統一表記します)はなぜ行きたかったか、というと、オペラです。
リゴレットというオペラの作品(ヴェルディ作曲)がマントヴァ舞台なのです。おりしも、去年だか、バリトンに転向したドミンゴ主演のライブ映画「リゴレット」を見、You Tube ( Rigoletto Mantua とやれば、出てきます)でおさらい。ちなみに、マントヴァはイタリア語、英語ではなぜか、マンチュアと呼びます。

3つの湖に囲まれた風光明媚な土地です。中世の建築物も楽しみです。
言わずと知れた、マントヴァ公爵領です。



マンテーニャの家
通ったときは閉まってたけど
ここで知っておきたいのはこの人。
Andrea Mantegna アンドレア・マンテーニャ。建築家、画家、アーティストかな。
(1431 – 1506 )
パドヴァ近くの小さな村に生まれ、マントヴァ候ゴンザーガ家に使えた画家 
マントヴァのデュカーレ宮殿の「結婚の間」(イザベラ・デステがフェラーラから嫁いだとき)
また、夏の離宮、テ宮殿の装飾を請負ったことで有名。
市内に家も残っています


ボローニャ駅

マントヴァのホテル
アパート形式でした
初日はロンドンからボローニャに飛び、鉄道でモデナ乗り換えで、マントヴァへ。最初の列車が5分ほど遅れたけど、乗り継げました。ボローニャから所要2時間ほどです。

ホテルにチェックインし、街を散策。街は広いけど、足で回れる大きさです。まずは一番の見所が並ぶドゥオモ(大聖堂)のある、エルベ広場目指します。
サン・タンドレア教会

鐘楼が必ずある

サン・タンドレア教会の中です


画家マンテーニャの
墓があるそう

エルベ広場

ロトンダと呼ばれる
サン・ロレンツォ聖堂

広場はしゃれた観光客用のテラスのレストランがところせましと並んでいます。
必ず鐘楼(ベルタワー)がありますね。アイスクリーム屋さんも。


色とりどりのフルーツのシャーベット

ミルク自販機



左がドゥオモ(大聖堂)

こちら、レストラン


ドゥカーレ宮殿入り口

庭は一般公開
すでに夕方だったので、主なところはみな閉まっていて、見学は明日に持ち越しですが、だいたい場所の目安つけて、下見がてら。ドゥカーレ宮殿で仕事終わって帰ろうとしていたおっちゃんに、レストラン聞いたら、教えてくれて、ここは魚介類がおいしいよ、ぼくも行くからって。てらてら歩いているわたしたちに、後ろから車で追いつき、こっちだよー。行かざるをえん、だった。が、確かにジモッチーしか行かないようなレストランだったし、美味しかった。おじちゃんはテイクアウトを取りに行くのだった。
余談(翌日も夕食行った、ボーイさん、覚えててくれて、ガーリックピッザと食後酒のレモンチェッロをサービスしてくれたわー)。


不思議なサイン
学校かな?
翌日は朝いち、ドゥオモとは反対側にある、テ宮殿へ。
ここでー、ドミンゴが歩いたと同じポーズを取ってみるー。
テ宮殿入り口


バスクリンのような水の色なんですが
「映画リゴレット」より
宮殿の前のテラスのカフェも素敵でおすすめです。
見学前の朝ごはんと、見学後のランチ、2回行ったよー。





宮殿の中は撮影禁止なので。
オーディオガイド(日本語があった!)が役にたったけど、日本語だと、人間関係の説明がまわりくどくてわかりにくいってこともありました。やっぱ歴史は予習・復習が大事?


映画
あとから You Tube おさらいしたら、最初の舞踏会の場面は「馬の間」でしたー。


「馬の間」
ゴンザーガ家自慢の馬の絵が
背景の壁に注目!


「巨人の間」


リゴレット(ドミンゴ先生)が支度をするところは、有名な「巨人の絵」が背景。ギリシャ神話に基づく絵です。

ここはもともと、部屋がたまご型だったそうで、何に使われたのかはわからないそうです。映画「リゴレット」では主人公が支度をする控えの間のような使われ方をしていました。


写真は「映画」より続けます。

ヴィーナスの間、だったかと

この部屋も見たわ



これもアルコ(後述)かなあ。。。

夜景がきれいに

ドゥカーレ宮殿は、この5月の地震の影響で、イザベラ・デステの「結婚の間」と庭しか見れなかったんです。なんで、あの、回廊(グリゴロくんが、ジルダを探して悩むアリアのところ)はどこだったのかー。ま、ええんですが。

おさらいしたならば、どうも、最後に行った、アルコ邸のような。下を見てね。
悩むマントヴァ公爵

テ宮殿は 領主フランチェスコ II・ゴンザーガ と イザベラ・デステの嫡男
フェデリコ Federico  II  Gonzaga (1500 - 1540) が愛人のために改築した、夏の離宮です。


フェデリコⅡ世

このひとは1530年 マントヴァ公を受爵。
体が弱かったらしく、強いものにあこがれてたみたい。
鷲の部屋が寝室だったり、トカゲ(リザード?)を好み、これを紋章にしたり、部屋の装飾にしたり、でたくさん、トカゲ?イモリ?サラマンダー?が見られました。生きてるのも見ましたー。

やもり?いもり?どっちか、そのときも悩んでおりましたが、イタリア語では Salamandar となってて、サラマンダーだと(サンショウウオ)なんですがー。
似たようなもんか?マントヴァは湖に囲まれてるからやはり、サラマンダーなんでしょうか。



公と侯の違い?
公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の順らしい。中世イタリアの爵位についてはまたの機会としましょう。はしょる、はしょるー。

14世紀からマントヴァを支配したゴンザーガ家。
フランチェスコという名前のひとは多数いるんですが、注目はこのひと。
フランチェスコ II・ゴンザーガ (Francesco II (or IV) Gonzaga 1466 - 1519) 。
妻はルネッサンスの擁護者イザベラ・デステ(Isabella d'Este 1474 - 1539)、愛人はルクレツィア・ボルジア(Lucrezia Borgia 1480 - 1519)だって。
ルクレツィアの3人目の夫は イザベラの弟であり、実家フェラーラ公を継いだアルフォンソ・デステですルクレツィアはこの方の2番目の妻やけど)。
ということは、イザベラにすれば自分の義理の妹が夫の愛人ってことよねー。
これだけでお話でけそーやなー。イギリスの歴史もこのあたり、おどろおどろしてますのですが、ここもややこしーそう。イタリアの歴史も勉強しよっと。そ、イタリアも深いな。


フランチェスコⅡ世・ゴンザーガ

妻・イザベラ
エステ家より嫁入り

愛人・ルクレツィア
ボルジア家の娘
フランチェスコ II とイザベラの息子が前述のテ宮殿を改築したひと。

イタリアという国ができたのは19世紀になってからで、それまではちりじりの国がいっぱいありました。フェラッラしかり、マントヴァしかり、ナポリも。ローマも、イタリア半島の中のローマといういち公国だったのです。

チェーザレ・ボルジアって何をした人?
ルネサンス期の群雄割拠時の軍人で小説にも出てくるイタリア半島を統一しようとしたチェーザレ・ボルジアの妹がルクレツィアです。
ウィキで調べれば出てくる、出てくる、ですが、それやってるとこの記事終わらないので、はしょります。ルネサンスの華、メディチ家はフィレンツェです。同時期の話です。

イギリスの14-15世紀というのも、バラ戦争終わって、テューダーに入るあたり。日本は戦国時代。全世界、戦いの時期だったのねー。イタリアはルネサンスが花開き、宗教もどす黒くからみ、荘厳な?時代だったんですなー。

フレスコ画が残る



「馬の間」に入るドア

絵はがきもバッグも買わず、写真でごまかそう

「巨人の間」絵柄のエコバッグ
ラジオーネ宮殿とロトンダ

パラッツォ宮殿の庭

5月の地震の影響で
「結婚の間」と庭しか見学できない




こちら、アルコ邸

この柱の感じが
「映画リゴレットより」

フランスの取材団のYou Tubeより

湖が見えます





色が素敵
ここも立派な教会

回廊がりっぱ

運河もありました

© Mizuho Kubo , All rights reserved.., August, 2012

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