1030 ロンドン・シティ・ツアーに行きました ワッピング編

ロンドン大火記念塔

8月16日日本クラブのシティツアーに行きました。今まで、シティを中心に、東西南北の4つのツアーを案内していただいてたのですが、今回は新しく、さらに東のわっピング編。

モニュメントの駅で集合しました。ここは、1666年のロンドン大火の記念塔があるのです。早速ロンドン大火の話から、モニュメントに嵌め込まれた絵の説明など、始まりました。



少し早めに着いたので、この辺りの写真を先に撮っておきます。
シャードも見える


塔の高さは202フィート(約600メートル)ここからこの塔を東に倒した、先に出火元のパン屋があるということです。
1666年9月1日未明、2日に火が出ました。
今回のルート案内













シティガイドの試験に出てきますよ、と説明してくれたモニュメントの記念塔の絵の説明。

左半分が大火時の様子。

女神や人々が苦しんでいる様子。

右半分が復興の様子、時の王、チャールズ2世が描かれています。こんだけやったで、という権力の象徴を知らしめてる、というか。

プディング、はお菓子でなく、内臓のことだそうです。肉の処理場があったところ。



消火栓パブ





塔の向かいには、「消火器」という名のパブも。

聖マグナス教会、モニュメント大火記念塔、昔のロンドン橋まで真っ直ぐに一直線上にあるそうです。







セント・マグナス教会

ベンチマーク 「小」みたいな










これが先々何度か出てくるのですが、OS ベンチマークという、高さを測る印。






テムズ川に出ました

旧ビリングスゲート(魚市場)
建物のアーチのところの魚の模様の細工になっています。英国初の税関ができたところ。

余談ですが、地下鉄乗っている時、隣に派手なカップルがいて、女性が特に、ミュージカル・シカゴに出てくるような肌もあらわな真っ赤なトップと短いパンツ、ストッキングも赤で、膝の上で留めてるという。



かなりセクシーで目立っていたのですが、同じモニュメントの駅で降りました。
その後わたしたちがビリングスゲートまで行ったら、大音響でダンスを踊っている若者のグループがいて、その中になんと、真っ赤な彼女がいたのです。びっくり。踊りのための衣装だったのか、でもそういう格好してたのは彼女のみ。

今のロンドン・ブリッジのもう少しこちら側に古い橋があったそう。
オリジナルは木で狭かったそうです。2回ほど変えられて今のところに。

税関の建物跡だったかと

タワーブリッジが見えてきた

砂糖貿易でテートという会社があった場所。
この辺り、船が外国から入ってきて、荷を下ろす、エリザベス一世の時代には、Quay やWharf をたくさん作って、厳しく税金を取り立てたとか。
ロンドン塔はロイヤルや貴族の階級の牢獄でしたが、トーマス・モアにちなんだ?トーマス塔。ここに入ったら生きては帰れない。でもエリザベス一世だけが過去にここに入れられたのに、生きています。

ロンドン橋渡ろのモデルになった

タワーブリッジは開閉するのですが、まだシステムで制御されていない時代、乗客を乗せたロンドンバスの運転手が赤信号を見過ごして進んでしまった。橋が上がってきた時、エンジン全開で、進み、飛んだそうです!
奇跡的に向こう側に着地成功。すごいよね。

昔、この近くのホテルに視察で泊まっていたとき、クルーズ船が入ってくるのをホテルの部屋の窓から見れましたわ。ラッキィ。

倉庫街にはこのような、キー(Quay)の名前が付けられており、荷物を下ろし、税関の審査に並ぶので、時間がかかり、荷物を一時的に預かるところが増えたとか。
ロンドン名物レンタルサイクル自転車。













真ん中の黄色いHマーク
Hydrant = 消火栓を表しています。この近く何メートル以内、深さ何メートルに埋めてあるという印らしい。

寅七さんのブログ記事を見つけたので入れておきます。



Hermitage Basin








運河沿いはまるでアムステルダムのようです。

湿地帯だったこの辺りに目をつけ、埋め立てたり、運河を作ったり、ヘンリー八世も関与しているらしい。オランダから技術者などを呼んで、作らせたので、雰囲気もオランダの運河のようです。


この階段の上、真ん中こにいる銅像の人がタバコ・ドックなどを設計したジョン・レニー John Rennie の像。












タバコ・ドック


タバコ・ドックに出ました。昔は自然の冷蔵室、ネズミよけに猫を300匹飼ってたらしいです。
今は、特定のイベントなどの会場としてだけに使われているらしいです。




ゲートにはタバコ・ドックの文字が。

ここで港の仕事に関わった男たちの話。道の名前にもその名残が。
ウォーターマン・ウェイ(上)
スティーブドゥ・ストリート
いわゆる港で荷物を上げ下ろししていた職業の人たち。
こちらも港関連。チャンドラーとは、キャンドル、蝋燭のことですが、港の船やボートの備品のディーラーのことも言うそうです。

The Old Star
ここで、ターナー・パブへ。あの、画家のターナーの愛人が宿屋を経営し、かっては魔女狩りも行われたという。

こじんまりとした雰囲気のある内装でした。
処刑台の近くで、昔は処刑される前に囚人たちがいっぱいやったというパブ。
今は小洒落たフレンチ・レストラン。

昔の黒歴史を知られたくないのか、そう言うことは一切書いてませんでした。美味しいフランス料理店で売りたいようです。この日は閉まってましたが、行ってみたいなあ。
昔の学校が、今は住宅として再利用、フラットに?
フラットの名前がボーイズ












もう一つがインファント(幼児)



メトロポリタン警察の前身、海洋警察。
Captain Kidd

その近くにキャプテン・キッドのパブが。










昔の処刑場がこの辺りに


パブにもそれらしい不気味な釣り縄が。
キッド船長はいわゆる海賊で儲けた人。政治の党争いに巻き込まれ、最後は処刑されてしまうという。
内部

外にはテラス席もあります、


こちらを進むと処刑台が見える


またありました。
OS ベンチマーク。

ベンチマーク

ここの中華も美味しいらしい

Prospect of Whitby

最後のパブに。ここにも縄がテラスにつってあります。昔、テムズウォークをした時に来たと思います。
由緒ある、テューダー朝からあるパブ。













狭い路地の向こうはテムズで、処刑台が見える。

ツアーはここで解散だったので、友人と夕食の約束をしていたわたしはその前に行きたいところがあったので先に失礼しました。
ガーネット通りだって


そう、これをもう一度見たかったのです。そして、前回は携帯のバッテリーが切れてしまって、自分では写真が撮れなかったので、撮りたかったのです。
エドワード八世のポストです。

ここのは横に切手販売機の箱がついてるんです。
50pとか書いてある。
ポストは今も健在でしょうが、切手の販売機は使われてないようですね。
前回の記事⬇️
ロンドン市内に出るのにわっピングのオーバーグラウンドの駅まで行ったほうが早いかなと戻ったら、またタバコ・ドックに出ました。

さっき、この辺歩いたなあ。おさらいをするわたし。


昔倉庫だったらしいと一目瞭然の建物が並びます。


ワッピングの駅から、地下鉄で川を渡り、カナダ・ウォーターでジュビリーに乗り換えてウォータールーまで戻りました。
東側の、ちょっと残酷な歴史も知りましたが、ロンドンの貿易港としての繁忙期、閑散期、時代との流れ、など、何世紀にも渡る興亡が盛りだくさんのお話で面白かったです。



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