506 イースターウォーク in コッツウォルズ 4月15日

うーん、この頃、歩いているか、食べてるだけでしょうか。。。。


スードリー城

イースターの連休、ギルドフォードの翌日はコッツウォルズに一泊でウォークを目的に、訪れました。
見学したところは歴史いっぱいで、見所もいっぱい。楽しい充実のウォークでした。

「テムズ歩く」のメンバーから4名、現地で一人合流参加。
朝8時、レディングで集合してリーダーの BMW でチェルトナム Cheltenham 近くのスードリー城 Sudeley Castle へ。発音は、シュードリーって感じです。10時からお城見学できるのだけど、ウィンチカム Winchcomb 村を見て、10分ほど前にお城に到着。チケットはウエブで事前購入すると10%割引。
チェルトナムがご主人の実家のメンバーもう一人とお城で待ち合わせ、一緒に見学、歩きます。



お城の地図

ここは Lady Ashcombe とそのご家族の住むご邸宅、プライベートのお城ですが、リチャード三世、チャールズ一世などと、ロイヤルとの関係が深いんです。歴史流してると一つできちゃうんで、簡単に(そうは、いかんな)。

有名になったのは、ヘンリー八世のお妃6人のうち、最後のお妃、キャサリン・パーがここで住み、死んだという。キャサリン・パーは唯一、ヘンリーを看取り、生き延びた妃ですが(6人のうち、二人は離婚、二人は処刑、一人は亡くなる)ま、この詳しいお話は私の別ブログでどうぞ。

自家製・ロイヤル年表 イメージ版

関連記事入れておきます。
ケンブリッジの休日その2」ばら戦争関連
119 クリスマス季節の切手」後ろの方に、ちらっと6人のお妃が出て来ます。

Katherine Parr は Catherineとも綴られますが、自分では、K の方を使ってたみたい。サインもそうです。お城ではKPと統一されていました。お母さんがヘンリー八世の最初の王妃、スペインから来た、キャサリン(アラゴン)と親しく、そこから名前を取ったようです。
宝石の髪飾り、首飾りを
まとったキャサリン

この方も4回結婚してるんです。初婚は若い時に若い病弱な亭主が亡くなって、次は年寄りでまた亡くなって、そのあと、やっとロマンスが、と思ったら、ヘンリー八世に見初められちゃって、好きな人と結婚できず、王を取った。王が死んだら、元彼に戻ったよ。でも、今までの3回の結婚で、自分の子供は、なかったのに(夫の連れ子ばかり世話してた)やっと4回目で自分の子供ができたのに、産後のひだちが悪く亡くなってしまいました。王様が亡くなって半年もしないうちに秘密裏に再婚しちゃった呪いかしら。







この肖像画が世間では知れ渡っていて、見られますね。

一番下、サイン
 全部が、同一人物とは思えないんだけど。まあ、写真はない時代だからねえ。

そう、この4回目のハズバンドはトマス・シーモア Thomas Seymour 、ヘンリー八世の3番目の妃であるジェーン Jane Seymour の兄弟。エドワード六世の伯父さんになります。城には夫、トマスに当てたキャサリンの自筆の(そら、そうか)ラブレターなども展示されています。

スードリー城はヘンリー八世が2番目の妃、アン・ブリン Anne Boleynとも訪れたらしいですが、亡きあと、唯一の息子で継承者エドワード(六世)に受け継がれ、そこからおじさんであるトマス・シーモアに譲られました。
トマスは城の名をとって、スードリー卿 Lord  of Sudeleyとなります。
1547年、ヘンリー八世亡き後、キャサリンはトマスと結婚して、ここに住みます。遺児であるエリザベス(アン・ブリンの娘)や、エドワード Edward、9日間の女王となった、ジェーン・グレイ Lady Jane Grey などもここに住んだということです。


トマスは結構、女好きだったらしく、一緒に住んでた、キャサリンの連れ子、エリザベスや、ジェーンにも手を出しかねない勢いだったらしく、悩みのたねだったんでしょうねえ。1548 年に36歳で妊娠、8月末に出産するも、産んだ後1週間で、この時代によくある産熟熱死。トマスの妹ジェーンも待望の息子を産んだ後、そうでした。産後に母親が亡くなることがよくありましたが、やっと自分の子供(メアリという娘)を生んだが、奥さん死んじゃって、その後さっさとスードリー城を出て行ってしまったらしい。なんちゅうやつや!メアリも2歳までの記録はあるのですがその後は消息不明らしい。
お城には娘を探して彷徨う、キャサリンの幽霊が出るとか?

振り返れば、薔薇戦争の、エドワード四世が所有した後(部下から取ったというか)、弟のリチャード(のちの三世)に1469年、この城を与えています。王権争いで最終的にリチャードを破った、ヘンリー・テューダー(のちの七世)が城を手に入れ、その後、息子の八世が所有すると。

リチャードの逸話もうひとつ。彼が王になって1483 年 この城に戻りますが、先王で、兄のエドワード四世の死後、息子のエドワード(自分の甥・五世)が父を継ぐはずが、ロンドン塔に閉じ込め、殺した、とシェイクスピアの劇では悪者にされていますが、兄の王妃エリザベス・ウッドビル Elizabeth Woodville と結婚する前に、兄がこの城の昔の城主の義理の娘、エレノア・ボトラー Lady Eleanor Botelerと秘密裏に結婚していたということを突きつけて、エリザベスとの結婚が無効だと、すなわち、息子(二人いたんですが)エドワードと弟(自分と同じ名前の)リチャードには継承権がない、と持って行ったと言う逸話も。
この幼い兄弟はロンドン塔に閉じ込められ謎の死を遂げています。
その後、リチャードが三世となります。人間関係、ややこしですねえ。
この辺はややこしいので、わたしの自家製年表を横に置いて、年代確認しながら読んでってくだされ。







付近のウォークの
案内地図

その後城は歴史からは忘れられ、廃墟になっていたのですが、キャサリンが亡くなっておおよそ200年後の1782年に、観光グループに偶然、廃墟の壁からキャサリンの遺体が発見されます。その時はミイラのように、まだ白い皮膚や髪の毛がそのまま残っていたそうです。その後何回か棺桶は開けられ骸骨になってしまったようです。

1788年には、チャールズ一世(市民戦争で唯一、処刑された王)も逃れてここを訪れています。

ジョージ三世が1837年に訪れ、廃墟となっている城を哀れんだそうですが、その後1855 年に地元の皮手袋メーカーの富豪、デント兄弟 Dent が購入。甥に相続された後、妻のエマ Emma Dent が精力的に修復を行い、現在に至るそうです。

あーいくらでもいけるわ、これ。全部スードリー城のサイトの説明からです。


ハートの形の花が


さて、本題に戻り、お城の見学をじっくり、庭園も素敵で満喫した後は、ピクニックエリアで、持参のお弁当を食べてから、車でウィンチコムに戻り、セントピーターズ大聖堂と通りを少し見て、いよいよ、歩きにかかります!


リチャード三世時代の建物







鯉もいるんです















見晴らし台にはローマ時代のモザイクが


カフェも元々の内装を生かし、素敵



不思議な南国風な
花が咲いてました




昔のバンケットホール(宴会場)だったらしい
(リチャード三世時代)

庭の模様は、エリザベス一世のドレスの模様だとか。







レース素敵。
ホニトンレースも。
Katherine Parr



噴水もモザイク


上から見ていた中庭です。





盆栽エリザベス1世






お庭が綺麗
いろんな種類のチューリップが満開でした。










敷地内のセント・メアリー教会にはキャサリンのお墓があります。
ビクトリア時代に廟を作ってもらっています。
個人所有の敷地内にある、唯一のロイヤル関係の墓だとか。






















チューリップのお庭を過ぎると、珍しい品種のキジたちが。動物園みたく、ケージに入れられています。






クジャクがちょうど、羽を広げていたのでした。
何と、メスが近くにいて、捕獲しようと威嚇?しているところに遭遇。
羽根を広げて、がんじがらめにしようとしているのがわかったけど、メスは、気にもとめず、さっさとどっかへ行ってしまい、羽根は閉じられました。
左、メス


だめだ、確保できなかった


セント・メアリー教会










⇦ベンチで本を読んでいる女性は、エマ・デントかな?













大きな桜の木が

中世のお妃たち
お城の中には、子供向けでしょうけど、中世のドレスなどが置いてあって、勝手に試着しては写真を撮ったり、鏡を見たりできるコーナーがあり、皆、狂喜乱舞でコスプレを試しては中世の女性になって楽しみました。これ、結構楽しい。昔オペラ仲間と行ったロイヤルオペラハウスの衣装セールを思い出す。
入れておこう→
コスチューム・セール ROH Costume Sale




さて、お城見学の後は、ウインチカムに一旦戻り、いよいよ、歩きです。
何と、午後2時半になっていましたが、頑張るぞ。
駐車場を見つけ、ちょっと、市内見学。

富豪のデント家ゆかりの名前のつく、Dent's Terrace.
ロンドンのセントパンクラス駅や、FCO フォーリンコモンオフィスなどを設計した、建築家 George Gilbert Scott が1865年に作ったもの。



Dent's Terrace

猫ちゃんがいました



並木が綺麗な、ウィンチカムから歩く場合はここを通る、というヴィンヤード通り。

ここからお城へ歩けます



セント・ピーターズ教会 St Peter's Church 。
屋根の強面(こわもて)のモンスターはアリス(不思議の国)に出てくるマッドハッターのモデルになったと。そう言えば似てる?

マッドハッター

セント・ピーターズ

左のは半魚人みたい





教会を右手に望み、コッツウォルズ・ウエイ Cotswolds Way を歩きます。



セントピーターズ教会

黄色いのは菜の花畑





目指すは、ベラス・ナップ  Belas Knap Long Barrow まさに、古墳なのです。





ブルーベルも発見
結構な丘を登って、午後4時に到着。先に来ていた子供連れのファミリーの団体で賑わっていました。

上に乗っていけます
上からの眺め


説明によると
子供や人間の骨が見つかったって


丸くなっているのがわかるかな?
古墳の上でお菓子を食べて休憩。
次はクリーブ・ヒル Cleeve Hill、展望の見晴台で終点とするだったのですが、ハプニングが。
コッツウォルズ・ウェイの標識が途中でなくなって、道に迷う。
民家の軒先に男性がいたので、尋ねると、お母さんらしきおばあさんが出てきて、懇切丁寧に教えてくれるが、どうも、反対方向に行き過ぎた模様。ちょうど、丘を降りて、夕食予定のパブから戻って来たわよというウォーキングの団体もいて、あらら。また道を戻るのか、思っていたのと反対方向へ。


目指せ、頂上

凧揚げの場所や、ゴルフコースを通り過ぎ、延々と続く、広大な緑の芝生の丘を行くとやっとベンチがしつらえてある、どうもここが頂上のようです。

6時20分過ぎ到着
日が長くてよかった!


クレーターのような穴ボコボコのゴルフコース

降りるのも大変だったが


予約をしていた、パブに7時ごろ到着。
やっと、夕食にありつけました。

わたしは骨つきリブのロースト!





ビーフパイ
リブのコンボ

ラムシャンク














その後、同じチェーンですが、Birdlip にある、今夜のお宿、別のパブへ移動。
距離的には車で20分ほどでしたが、車のナビに郵便番号を入れようとすると、ナビちゃん、その郵便番号を探しきれない!
真っ黒な中、田舎道飛ばして、何とか、とうちゃ〜く。
運転手さま、皆様、大変お疲れ様でした〜!


後編もよろしく→
507 イースターウォーク in コッツウォルズ 4月16日

コッツウォルド・ウェイ 目次

Cotswold Way でしたので、それで統一します。


『 674 コッツウォルド・ウェイ1回目』2019年8月25日(日)

1区間目 Chipping Campden to Broadway (Broadway Tower)

『732コッツウォルズの3泊4日Birdlip 』この記事が『2区間、3区間、5区間』ですね。

2区間 Wood Stanway (Stanton) to Broadway 帰りを考え逆行コース 2020年8月15日

3区間 Wood Stanway to Winchcombe       2020年8月16日

4区間 Winchcombe (Belas Knap) to Cleeve Hill 2017年4月15日

5区間 Birdlip to Crickley Hill                     2020年8月14日

             Crickley Hill to Leckhampton Hill    2020年8月17日


『506 イースターウォークinコッツウォルズ』(上記4区間目)2編に分かれてます。

後編もこの中のリンクからどうぞ。


© Mizuho Kubo , All rights reserved…April, 2017

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