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| あーてー、あーてー🎵 |
翌日、9月28日、ホテルで朝食を食べ、早い列車便で帰るひとりのために、また、水汲み場まで行きました。
改めて見ても広い構内。
駅に向かう途中に、奇跡の修道女、ベルナデット(ベルナデッタ)の生家があるというので、見に行きました。
生まれたのは粉挽き水車のある家で、製粉業を営む父が事業に失敗してから貧困の生活を強いられます。
ここを出て同じ市内のカショー Le Cachotという牢獄の跡地に住むことになります。
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| 青サッシェのマリア様 |
ベレーを被った羊
看板も可愛いです
ピレネー博物館、行かなかったけど。崖の上まで行くのかしら。
ベルナデットの指標
いっぱいある。
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| Le Cachot |
貧乏になって、もと牢獄だった場所に住んでいたというところにも行きました。
Le Cachot という建物で、入れます。案内のお婆さんに日本語の説明をもらいました。
この人がなぜ奇跡かというと、1858年、14歳のとき、マッサビエルの洞窟近くに薪を取りに行った時、「聖母」マリア様が現れた、本人はそれが誰かわからなかったと言います。
それが何回も。「マリア様」は18回現れたそうです。あるとき「聖母」に顔を洗いなさい、と言われて近くに水がないので、川に行こうとしたら、洞窟に行きなさい、と言われ、そこに水が湧き出て、それが奇跡の泉になった。これを世界中の人が汲みにくるのです。
そして、「聖母」に、この場所に聖堂を建てるよう言われ、聖母出現も初めは信じてもらえなかったけれど、徐々に、当時の神父や教会関係者も信じるようになり、聖堂を建て、巡礼の地となったそうです。
彼女はのちに別の場所で修道女になるんだけれど、そこで亡くなってから遺体は何年も腐敗せずに保管されていたらしい。
22歳でシスターになる決心をして、ネヴェールの修道院に行きます。35歳で肺炎で亡くなりますが、死後ほぼ50年経って「聖人」と認定される。
刑務所跡を出て、さっき閉まっていた土産物屋を併設している住んでた家に戻り中を見学しました(水車小屋の隣)、台所や寝室などが見れます。
これが持って歩いていたろうそくとろうそくカバー。黄色だったというのにホテルに戻ってから気づく。
これは紙ですが、プラスチックのおしゃれなのや、紙製もいろんな色があるようでした。
ちなみに、🎵あーてー🎵の歌詞も載ってます。
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| またもホタテマーク |
右は駅に近いところにある、ベルナデットが洗礼を受けた教会。
1844年1月7日生まれ
1879年4月16日没
今年2025年の8月に建てられたんだ。最近ですね。
ベルナデットが亡くなったのが ネヴェールNevers の修道院で、その土地の名前がついたホテルが駅の近くにありました。
ブルゴーニュ地方の町、ネヴェールのサン・ジルダール修道院で今も眠る、彼女の遺体は腐敗せず、保管されているということです。
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| 巡礼の像 |
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| カエルがいっぱい |
ルルドの駅、結構長いのです。ホームが。
トゥルーズで少し時間があったので、駅前のカフェで小腹を満たしました。
ちょっと変わったオニオングラタンスープです。美味しかったけどね。
空港バスで空港に。トゥルーズ空港には、飛行機の工場があり、今回は行けなかったのですが、飛行機の部品を運ぶという、『ベルーガ』というらしいですが、ちょっと分厚めな機体の飛行機がたくさん停泊?していました。
輸出を待っている機体たちも、いっぱいいます。
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| ベルーガです |
ウェンブリーのアーチが見えました。ちょっとボケてるけど。
無事、帰還。週末弾丸フランス旅行第一弾です。
左>
聖堂のインフォでもらった、英語の行列案内。午後9時からです。
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