番外編 ルクソール後編「王家の谷」とハトシェプスト女王葬祭殿


王家の谷を対岸から望む

旅行3日目 
 2月3日(水)。
 6時起床、朝食。  
 なぜなら7時集合。今日はナイルの対岸、西の「死者の都」見学なのだ。王家の谷は岩山の中につくられた、歴代の王や王妃が眠る集合墓地。ツタンカーメンの墓が執念のイギリス人考古学者によって発見されたことで有名。
船からバスで、対岸に渡って、約30分。
 入場券80ポンド (エジプトポンド、以下LEと省略)では、墓を3つまで見ることができる。ラムセス6世とツタンカーメンの墓には別途追加料金がかかる。ガイドが言うには、多くの実質的なお宝は黄金のマスクを含め、カイロのエジプト博物館に行ってしまっているので、ツタンカーメンの墓にはミイラと少しの壁画が残されているだけで、100LE 払う価値はないと言う。しかして、お薦めのラムセス6世墓(追加料金50LE )を見ることにした。
 まだ、朝も8時前なのだが広い構内は、すでに観光客が押し寄せている。王家の谷は外も中も撮影禁止。中の壁画は3000年の現代でも、当時の色を原色のまま見ることができるので、フラッシュや、カメラのレンズは壁画を損ねることになり、よくない、とのこと。息することや、しゃべる声も損なうので、墓の中では、ガイドすることも禁止。

 地上の入り口から入るとどんどん地下に行く。ラムセス6世(追加料金)はもともと2人用の墓所だったらしく、棺を置く場所は広い。なるほど、壁にはぎっちりとヒエログリフの呪文と絵。筒のような入り口から墓所までのトンネルは両壁と天井、全部壁画だ。階段はせまく、奥に行くほどせまくなるので、ひとでごった返しているその風景はちょっと不思議だ。外に出るとラムセス6世の墓の下にツタンカーメンの墓があるのがわかる。その後、ガイドのお薦め、通常のチケットに含まれているラムセス3世、1世、9世と見た。
 内部をプロが取ったという写真からつくられた絵葉書集を買った。以下の絵はそっからものある。新たな試み。
 
 カルトゥーシュが右の絵葉書。カルトゥーシュとは、王の印籠みたいなもん。ヒエログリフで表されれ、周りをぐるっと縄のような模様で封じる。ハワード・カーターが墓を探していたときも、ツタンカーメンのカルトゥーシュを見つけたため、発見となった。  

 


 墓を任命した王たち、建設した建築家、使われた奴隷たちも、よもや、3000年ののちに全世界からの観光客の目にさらされることになろうとは考えても見なかっただろう。棺を安置する墓所は長い長いトンネルを下がって行くようになっている。長い階段を何段も下りなければならない。もちろん当時は階段などなかっただろうから。通路は壁面と天井にびっちりとヒエログリフ(象形文字)と絵がレリーフに描かれている。死後の世界、あの世を信じた古代エジプト人は、死んだあとも、あの世に神(複数)が導いてくれるよう、呪文のようなヒエログリフを書き込んだのだ。お棺の中にも、ふたにも、ふたの裏にも、死者の書と呼ばれるものがたりまで。

死者の書
みやげもの店で売ってる作品から

古代エジプト人は信じていた。ひとが死ぬと、神々の裁判にかけられ、天国に行くか、地獄に落ちるか、決められる。裁判長はオシリス神で、他の神々に尋られる質問に全部正直に答え、真実と死者の心臓を天秤にかける。つりあわなければ心臓は怪物に食べられてしまう。無事つりあっても、あの世に行くには、次の試練が待っている。この真実を表す、羽根や、天秤、書記などのレリーフはいろんなところで見ることができる。
 ミイラ作りのレリーフや、日の出と日の入りの天空を描くものなどもよく見られる。
 無事あの世に行けた暁にはまた新しい生活が待っている。その生活に困らないよう、前世で使ったものが全部棺に墓所に、残されているのだ。ツタンカーメンはベッドや履物まで自分の墓に残していた。


ミイラ作りのレリーフ (上) 神々の乗る船(下)
写真集から




店で売っている陶板のミイラ作りの図












日の出と日の入りの天空の神が覆いかぶさるように世界の枠組みにいる












天井の壁画はハトシェプスト葬祭殿からのもの




写真集から
人間の肌の色が茶色は男性で、黄色いのが女性なんだってさ。



↑この絵巻ってなんとか草紙に見えない?


 ワインのビンみたいなのを頭につけてるのは上エジプトの王、と。下エジプトだったかなあ。
ナイルの源流(南)を上(かみ)といい地中海に注ぐカイロ側の北が下(しも)だそうです。だからルクソールやアスワンはかみ。長いあごひげが曲がってるのが神でまっすぐなのがファラオだったかなあ。その反対かも。




 
















 



 繰り返し出てくるオシリス神話。
冥界の神、オシリスは、大女神である、イシスを妻としている、イシスは彼の妹でもある。美しい兄の妻イシスをねたんだ、オシリスの弟セトは兄を殺してばらばらに切り刻み、ナイルに棄てる。悲しんだイシスは鳥に姿を変え、オシリスの遺体パーツを集め、生き返らせる。そして生まれたのが息子のホルス(はやぶさの姿をした、天空の神)。ホルスは父親の仇とおじに戦いをいどみ勝利する。ホルスの妻であり、母なのが、ハトホル女神。ハトホルは牛の神なので、ミルク、から母の象徴とされている。
 ハトホルの乳で育つホルス、はさながら、乳児キリストを抱くマリア像、オシリスとイシス、子供のホルスはキリスト教の、父と子と精霊の、三位一体のもとであるようだ。このレリーフはアスワン編のフィラエ神殿にもでてくる。



ハトホル女神の柱 このあごがとがったような独特の顔はどこにいても一目瞭然




 このように、古代エジプトの神は動物の頭を持つ神が多い。

永遠の命を示す アンク
 わっかの下に十字のようなものがついてるもの。動物神やファラオのレリーフで手に持っているのがよくでてくる。





 





アンクの列
ヒエログリフ一番右端
左端は最後の審判の羽根、右端がアンク。

これもレリーフ全編通じて出てくるので要注意。



 スカラベは前述のようにエジプトで幸運のしるしとして、かわいがられているが、要は、ふんころがしちゃん。

この印籠が目にはいらぬかって感じ?



絵葉書のレリーフにも登場(下の左)。上は3頭を持つ蛇(コブラ)



ルクソールでお世話になったバス



ハトシェプスト女王葬祭殿


 
 もう10年以上も前だが、ここで恐ろしい事件があったのを帰ってきてから気がついた。テロがあったのは知っていたが、ルクソールのどこか、というのを気にしていなかったのだ。ハトシェプスト女王はおんなでありながら、男勝りだったらしく、女王というより王として振舞おうとしていたひとらしい。いろんな史実や遺跡のあり方からそれが推し量れる。ガイドブックには「側近で建築家」がこの葬祭殿を作ったとあるが、ガイドは「愛人」が女王のご機嫌取りに建てた、と言っていた。わたしを愛してるならそのくらいつくってよ、と言ったのかなあ。この先のアブ・シンベル編で、ラムセス2世の最愛の妻、ネフェルタリも「自分だけ大きいのどんどんつくって、わたしにもひとつくらい作って頂戴よ」とおねだりしてできたのが、それらしい。おんなは怖いね?

入り口から葬祭殿まで、けっこうあるので、こんなミニバスというか、ミニ列車で行く(無料)

あとは壁画のオンパレード
きれいに色が残っている。これって、紀元前1500年前よ。










 頭がハヤブサやら狼やらの動物の古代エジプトの神々がでてくるのだ。
 メムノンの巨像を写真ストップして、長い一日が終わろうとしていた。

 ひとつは修復中。右の像は地震で壊れかけたあと、風の強い日は、おんなが泣くような音をだすようになったらしい。



今後も遺跡で出会う神々
アメン 神々の王、創造神
 ラー 太陽神
 ハトホル女神(前述)
 ホルス神(前述)
 アトゥム神 創造の神
 クヌム神 牡羊の頭を持つ創造の神


アスワンで「古代エジプト神々の絵本」を買う。  

 全編通じ、繰り返しご説明させていただこう。こころの隅に止めておいてね。


 熱気球で空から王家の谷を見るツアーもあって、たくさんバルーンが空に飛んでいた。
 これは行きませなんだ(高所恐怖症のため)。行ったひとが言うにはひとつのに16人くらい乗れるんだって。







*2月現在換算レート
100 エジプトポンド = 約 11.60 英ポンド
100 エジプトポンド 日本円にして 約1640円


2010年2月17日
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..…..February, 2010

コメント

  1. 写真撮影禁止だったのね。残念。でも頭が3つあるコブラの壁画っていうのははじめて見ました。エジプトの神々はもともとは各地の土着神だったのが、統合に連れて一連の家系にまとめられたらしいということです。もとはラー=イシス系とホルス=ハトホル系は別々の土地の支配神だったらしい。んではなしがちょっと混乱する。でもおおらかなエジプト人には御利益があれば誰がどうでもよかったらしい。日本とちょっと似てる?
    そう。10年前くらいに銃乱射事件がありましたね。同僚が学生を連れて到着したのがその10分後だったとかで、一つ間違えば帰ってこられませんでしたと言っていました。

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  2. ラムセス1世の墓だったかの通路の壁画には5つ頭のへびもいました。動物天国ね。エジプト。エジプト神話はまだまだ続きます。そう、日本も多神教だしね。共通点けっこうあります。狛犬とか。前世とあの世とか。でも、ミイラはないよなあ。日本でもひとが死んだらミイラにするのってイギリス人に聞かれたけど。なんとか和尚のミイラとかあったっけ。

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