622 レディング・ミューゼアムのバイユーレプリカ


本編、久々です。

ハロルド、ノルマンディーに向かう、の図

うちから鉄道ひと駅のこの辺では1番の都会 Reading レディングのタウンホールの中に博物館があり、なぜかそこにはバイユーのタペストリーのレプリカがあるのです。
かなり前に見に行ったことはあるのですが、再度中世にお詳しい先生をご案内。今度は写真を撮ったので、記事にしてみました。





ノルマンディー公ウィリアム(イングランド王ウィリアム1世)がハロルド王から、いかに王冠をもぎ取った?か、世に言う1066年の『ノルマン人の征服』物語。
最後はヘイスティングスの戦いでハロルドが殺され、ウィリアムが王になるというの場面で終わります。
当時の服装や戦いの仕方、ノルマンディー軍は馬を駆使し、イングランド軍は歩兵だったとか、船の仕様など、わかって興味深い。



本物のタベストリはフランスのノルマンディー地方の町、バイユー Bayeux の教会にあります。ウィリアムの王妃マチルダが作った、とされていましたが、現在はウィリアムの異父弟オド(オドン司教)が作らせた説が有望になっているらしい。
タペストリにも出てくるひとです。
本物は58帳あり、最後の2帳がなくなっているそうです。おそらく最後はウィリアムの戴冠式の場かと。

本物も、何年か前に友人とバス旅行でノルマンディーに行き、見に行ったことがあります。
レディングのそれもオリジナルに忠実に復元されていると思います。


レンヌの町

ハロルド、ウィリアムと会見

エドワード(懺悔王)

エドワードのウェストミンスターでの葬列
寺院の上に神の手が表示
ハロルドはエドワードからウィリアムに「エドワードの後のイングランド王は貴殿だ」と伝えたのに、いざ、エドワードが亡くなると自分が王の座についた、とウィリアム側は言ってます。

ハロルドの戴冠

左上に見えているのが有名なハレー彗星
これが災いの印とされた


戦いに備え軍がいろんな食べ物を用意

ウィリアムの兄弟たち
オド司教が左に

1066年10月14日 決戦の朝!
甲冑に身を包み、まさに馬に乗ろうと
しているウィリアム

兜を取り、まだわしは生きておるぞ、と
兵を鼓舞するウィリアム

ハロルド殺される
馬に乗って倒れているのと目に矢を刺されているのと
どれが彼なのかわからないらしい

イングランド軍が帰っていくの図


ここでタベストリは終わり。
実は後2枚あったのだとか。おそらく、ウィリアムの戴冠のシーンで、この初めのエドワードの戴冠のシーンに重ね合わされているのだろうと。


昔作った、わたしの自家製年表にはハロルドは入ってないですねえ。参考文献に入ってなかったのか知らん

自家製ロイヤル年表イメージ版








最後はヴィクトリア時代にこのレプリカの刺繍をした女性たちの名前と証明書が。

創設者はElizabeth Wardle という女性。
Leek Embroidery Society と提携して、刺繍をして復元しました。

Leek 長ネギ、という名の町は、Staffordshire のウエッジウッドなどの陶器工場の集まることで有名なストーク・オン・トレント Stoke-on-Trent にも近いです。

1885年にバイユーを訪れ、タペストリーに感動した彼女が作ってみようと思ったのがきっかけとか。

1895年にレディング博物館で展示。これを見たのちのレディング市長が自分の町に持って来た。

1993年からタウンホールの中にある、 Reading Museumのバイユー・ギャラリーで展示されることになったそうです。

ミューゼアムもギャラリーも無料ですからね。
レプリカとは言え、目の肥やしになります。
レプリカとは言え、100年以上経っているので、アンティークだわね。


本物もウエブサイトから拝借して、ここにいれておきます。



メッセンジャーたち


ハレー彗星拡大

ヘイスティングスの戦い
下にいっぱい戦死した兵士たちが

不思議な裸の男がいる図
レプリカには修正版が?
ハロルド殺さる

2020年には、本家のバイユーから本物がやって来て大英博物館に展示されるそうですよ。

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