406 マグナカルタ800年

マグナカルタ記念塔


今年800年記念ということで、ちょっと、写真記事にしておこうかな。
場所もウィンザーに近い、ラニーミード Runnymede ですしね。行ったことはないのですが、これを機会に、歩きに行こうと思っています。ナショナルトラストでもあります。






マグナカルタ(大憲章)、イギリス最初の憲法のもと、自由主義の基になったと言われておりますが、制定された?有り体に言えば、当時の王様プランタジネットのジョンが無理矢理貴族にサインさせられた、ってことになっております。
ときは1215年6月15日。

グーグルもマグナカルタ


この日は記念碑のある、ラニーミードで女王陛下や首相が集まり、記念式典。
BBC ニュースからまた盗み撮りしました。






ロイヤルも整列

ご先祖さんがね?



コピーがたくさんあるらしい。
羊の皮に書かれてるって


メイドンヘッドの図書館でも、子供向けにワークショップのお知らせが掲示板に出ていたので、写真に撮っておきました。



詩まで


子供向けにわかりやすく

こんな感じで


ジョン王ってのは、イギリス史上、最低の王さんだったらしく。。。
弾圧や殺戮を繰り返し、課税はするわ、気に入らないやつは勝手に牢獄にぶちこむわ、で貴族の猛反対にあって、王とはいえ、勝手なことはさせんぞ、とマグナカルタに同意させられたらしい。




考えたら弱い王さんです。
(のちのヘンリー8世に比べたらねえ。。。)
イギリスの貴族も、王の勝手にはさせんって、戦うところが強い。そこまで、王の実権が強くなかったんでしょうね。この時代。




おとっつあんのヘンリー2世が結婚によって得たフランス領も手放すわ、小さいときは領土を分けてもらえなかったわ、で、あだ名が欠地王、失地王。このひと、何も良いところなくって、唯一このマグナカルタに調印した、ってのだけがいいところらしい。
人間の権利を主張し、王たりとも勝手なことはでけんっつう大憲章に名を残したんですよ。このあと、息子のヘンリー3世のときに覆されたり、まだまだ人間の権利のもと、というには、危ういし、ややこしかったんではあるけど。。

王室の恥じさらしのような王のマグナカルタの式典に出られる現王室も太っ腹?
ま、ともあれ、場所柄身近に感じられ、テーマにしてみました。

こりゃ、関係ないけど

ん?関係あるっていえば関係あるかも。
バイユーのタペストリも。でも長くなるので写真だけ。
本です、これは。
式典で交通規制が
予定されるサイン











後日談>
7月にタウンホールの向いの図書館兼観光インフォに行ったらこんなもの発見。売れ残ったからここで売ってるのかしらん。

マグナカルタ
グッズ





ロゴ入り帽子



カタログ

T シャツ£7は安いけどなあ


© Mizuho Kubo , All rights reserved…June, 2015

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