旅行編 フランス・アンボワーズの旅 8月24日 クロ・リュセ城

クロ・リュセ

わたしの部屋への階段
2日目。昨夜は食べなかった気がする。というのも到着が遅かったのでレストランには間に合わず、と思い、絶食。朝は持参のインスタント味噌汁で朝食。
今日は目的の一つ、クロ・リュセに行きます。
市内から徒歩20分ほどでいけるはず。
時計塔を抜けて歩く。












アンボワーズ城を横目に、通りすぎ、町を見ながら、歩きます。お城の近くにレストランがいっぱいありました。そうだ、昨日は遅かったので、レストランが開いてなかったのか。

この左のドア、公衆トイレ


なんだ、こうやって見るといっぱいレストランあるじゃない。
歩いていると、左の片側、側面が岩のようになっていて、そこに家がはまっている、のです。
途中で、観光チームらしき一団とすれ違い、ガイドさんのような人が説明しているのを聞いて、はて、と思いました。








『詳細は完成を作る、
が完成が詳細を作るのではない』
20分ほどで、クロ・リュセの館に到着。

事前にチケットを取ろうかと思っていたのですが、オンライン、うまくいかず。でも現地ですぐに買えました。

まず、塔を登るのです。すごいです、ここ。ダ・ヴィンチ満載。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(以下、レオナルドと省略)はいわずと知れた、ルネッサンス期のイタリアの巨匠ですが、時のフランス王、フランソワ一世に好かれ、招かれてアンボワーズに晩年住むことになります。ここで亡くなっています。

この時代にここで芸術を培っていただけでなく、教会やお城の建築や、飛行実験などもやっていたようです。

中も楽しい。まず塔の階段をのぼると、イタリアっぽい回廊に出て、そこからまず、レオナルドが晩年を過ごした部屋に入ります。
渡り廊下からの庭園の眺めも素敵。庭園も広大なのです。いろんなトリックがあって楽しめます。









ルネッサンス、という感じの館内。

レオナルドの部屋。晩年まで過ごした部屋です。

窓からはアンボワーズ城も望めます。





元々この1471年に、国王ルイ11世により建てられた要塞でした。1490年にシャルル8世の所有となり、そこからフランス国王の居住城となったそう。

ルイーズ・ド・サヴォアが二人の子供(のちのフランソワ1世とその姉、マルグリット・ド・ナヴァル)をここで育てます。


今のクロ・リュセという名前は17世紀末に付けられたものだそうです。

レオナルドはここに1516年の秋、到着し、死ぬまでここで過ごしたのです。

マルグリットの弟


マルグリット・ド・ナヴァルの部屋。

このかたは前述のフランソワ1世のお姉さん。「デカメロン」にヒントを得た『エプタメロン』を執筆した、ルネサンス期の初の女流作家です。彼女のいくつかの小説はアンボワーズが舞台になっているようです。

壁のタペストリも素敵です。
庭のカフェが見えます


こういう窓枠いいな

住民の一人、マルグリット・ド・ナヴァルの肖像画と胸像。


















小さなチャペルもありました。
ここはシャルル8世の妻、アンヌ・ド・ブルターニュのために作られた小礼拝堂です。

レオナルドの弟子がフレスコ画を描いています。

礼拝堂のフレスコ画






























仕事場



礼拝堂の隣がアトリエ。



レオナルドの書斎というか、仕事場というか、アトリエ。

イギリスでいうと、テューダーの時代だから、梁のある天井とか、なんとなく、似通った感じもするのですが。














展示されている絵画はいずれもレプリカですが、右手の手を挙げている女性のオリジナルはウィンザー城にあるそうです。

レオナルドの素描画もいくつかロイヤルファミリーが所有。時々、バッキンガム宮殿の夏の一般公開で見ることができます。


横で面白いことやってました。映像を駆使して、レオナルドが当時のナポリの王様に謁見した時の再現。彼はすでに有名になっていて、モナリザの前でどういうふうに描くのか、とか聞かれている様子をCGで、再現しています。

お部屋の感じも興味深い。









左がナポリ王、右がレオナルド。
レオナルドは生涯独身で、菜食主義者だったそうです。厨房はお抱え料理人の仕事場。

狩の様子が描かれたタペストリ




これが、約600 メートル離れたところにあるアンボワーズ城への秘密の地下通路。フランソワ一世がここを通って父と慕っていたレオナルドに会いにきていたという。









(左)通路の説明。
この部屋には彼が飛行実験などをしていたモデルなどの展示がされています。







外に出てみます。広大な庭にもいろんな展示物が。

テーマパークみたいで楽しい。アトラクションもいっぱいあります。自分で回してみる羽根とか。

庭に出ると、池があって、小さな噴水のようなもので霧を演出しています。

まず、ミューゼアムに入ってみます。レオナルドの作品や経緯を詳しく説明してあります。
教会の設計モデル

1519年、アンボワーズ城の敷地内に埋葬

デッサン
年表

























生涯のメモ、ここでもらった日本語パンプレットから引用。

レオナルドは1452年、トスカーナ生まれ。
12歳で当時の有名工房に入り、宗教画を作成。
「キリストの洗礼」(フィレンツェ・ウフィツィ美術館)
1482年ー1499年 ミラノ公に仕える 
「最後の晩餐」(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会)
1500年ー1506年 マントバ。ヴェネチア、フィレンツエ
ミケランジェロ、ラファエロと競合。
「聖アンナと聖母子」「モナリザ」(いずれもルーブル美術館所蔵)

1506年ー1513年 ミラノ
ミラノはフランスに支配されていて、アンボワーズ公シャルル2世がミラノの要塞司令官
1513年ー1516年 ローマ
1516年ー1519年 フランス
フランソワ1世の招聘によりアンボワーズへ。年金とクロ・リュセ城を賜る。
王に仕える、最初の画家で技術者、建築家となる。
1518年6月19日 「天国の宴」をクロ・リュセで開催。夜空のアーチを作成。
そのほかにも飛行実験、要塞の建築、宮殿と新しい街づくりを考案。
1519年5月2日、アンボワーズで死去・67歳。アンボワーズ城内の聖フロランタン教会に埋葬を遺言し、その後、アンボワーズ城敷地内の聖ユベール礼拝堂に移動。


孔雀が白いのと普通のと3匹いました。



写真山ほど撮ったけど、全部載せたい。





物見櫓のような橋があって、そこから池の側に孔雀を発見。


孔雀

小さな滝のような流れも作ってあります。



落ち着く空間。


























公園内にある、オーベルジュ・ドゥ・プリオレ。レストランになってます。今日のランチは2部制で、前半部は満席。





















一回りして、またお館まで戻ってきました。





プロペラ、自分で回せる























クロ・リュセを後に、ここから徒歩10分足らずで次のお城、ガイヤール城です。

クロ・リュセ

ガイヤール城


あまりに写真が多いので、ここから別記事にします。

同じ日にアンボワーズのお城を3つ訪れました。次をどうぞ。

日本語の案内書
















全ページ入れたいところですが、こんなところで。

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