224 シェイクスピア・カントリー その1

やっとレミントン・スパから出発です。
14時35分の列車に乗り、結局「エイボン川のストラットフォード」に着いたのが15時すぎ。駅から町中までは徒歩15分くらいです。

ホテルは王立シェイクスピア劇場 Royal Shakespeare Company の近く、ということはエイボン川の近くなので、チェックインを済ますともう、4時近い。


オリンピックの聖火だぜ

ホテルの部屋でっせ

アメニティはロキシタン

額の絵はもちろん、シェイクスピア作品から

下の棚の開け方に苦労した

中庭ビュー
ここ、ストラットフォードでは、シェイクスピア財団が運営している5つの見所があって、事前にオンライン予約で、5つ全部見れる共通チケット(£18.90)を買ったんだい。これ、お得ですよ、オンラインで買うと10%引きだし、中のカフェの割引もあります。
1年間何度でも使えるんですってさ。行くかなーだけど。日本からの友人はまた来る!と行ってました。それまで預かったから、だれかと行けるよー。余談。

ホテルに到着したら、すでに4時のわたしたちは、とりあえず、生誕の家に行くことに。ここに事務局もあります。オンラインのプリントアウトを出して、切符に引き換えます。
またまた駅

ヴィクトリア女王の
60年ジュビリーの記念碑


作家関連の5つの見所とは;

シェイクスピア生誕の家(キリストみたいやんか)
ホールさんの家(娘の嫁いだ家)
ナッシュさんの家とニュープレイス(孫娘の最初の夫の家、と作家の終の住処)

上記三つが市内にあり、

アン・ハサウェイのコテージ(妻の家)
メリー・アーデン農場(母の家)

上記二つは少し離れています。

アン・ハサウェイのコテージは市内から徒歩で25−30分。気持ちのいい、散歩道と案内にはある。

メリー・アーデン農場はストラットフォードの次の駅、ウィルムコートという駅からすぐということだったので、こちらを明日、途中下車で見ることにして、まずは遠いところから攻めようと思っていたのですが、いきなり、くじける。予定より2時間遅れの到着やし。



生誕の家
ほんとは撮影しちゃあ
いかんかったらし
明るいからうまく撮れてる


切符売り場から、展示場、スライドを見てから庭に入るという図式になっていて、スライドが3つくらいある。時間ないのにこれみな見ないといかんのかーと思ったけど、終わるまでドアが開かないようになってるらしい。なのに、わたしたち以上にいらちのイタリア人家族が無理矢理ドアを開け、出て行ったので、わたしたちも従いました。

スライドもけっこう面白かったけどね。

中でも当時の装束に身を包んだ俳優さんが子供連れの家族に説明していました。

庭に出ると、俳優さんがシェイクスピア時代の衣装に身を包み、芝居していました。何をやってたのか、わからん。勉強不足だ。

おとうさんの作業場。彼は皮手袋職人でしたが、
市長にもなったことのある地元の名士

なかなかモダンなインテリア

テューダー様式
中庭では俳優さんが熱演

子供にも質問されてた






クリスマスショップで見つけたほのぼのサンタ

テディベアもテューダー朝

くまのカーテン

シェイクスピアに出てくるなんかですわ

ティーポットがかわいい

衛兵のワイン抜きよ

オリンピックグッズも見っけ

アンティークのケーキ皿
シェイクスピアはこの家で生まれて18歳までここにいました。18歳のとき、8歳年上のアンと結婚。できちゃった婚だったらしい。娘スザンナが生まれ、そのあと双子のハムレット(とずっと思ってたけど、ハムネットだった)とジュディスもできる。おのこのハムネットはのち若くして亡くなりました。

1585年ごろにロンドンに行くまではここで何をしていたかはわからないらしい。
有名になったのが、1592年にブレーク。ロンドンで俳優をしながら、自分でも脚本、戯曲を書いていたらしい。

ロンドンにもシェイクスピア関連の建物や話がけっこうありました。ショップでハガキを買ったのですが、見てたらそうか、って。ためになったわ。
ローズ劇場(跡)には行ったことがあります。英語ツアーで行きました。
発掘現場のようなところでオリジナルの当時の劇場風景を想像するという感じです。
いまはグローブ座がテムズ河のサウスバンクに当時に忠実に再現されていますが、昔は劇場や俳優は下賎な職業と卑しめられていたそうな。


これはホテルの中庭です

タウンホールです

銀行もシェイクスピア


シェイクスピア・ホテル
メルキュール(フランスのホテルチェーン)
でしたが

ここもよさげだった
その名も「オセロ」

本屋さん

作家が行ったと言われている
教会付属の学校







夕方散歩してたら、ホテルの近くのホーリートリニティ教会にシェイクスピアの墓があるということを発見し、これも見学するのに見所は6つになったのです。

朝9時か、10時から開館で、午後5時には全部閉まってまうんですー。教会だって中にお墓があるから、5時40分まで開いてたけど、気がついたら6時すぎてましたんで。

エイボン川を堪能したあとは、川沿いのパブで一休み。
そのあと、夕食。
食事ははずさん、散策しながらも、今晩の夕食はどこにするかなーって、目を付けてたのよねー。友人いわく、わたしといると絶対おいしいところにぶちあたるそうです。笑

エイボン川散歩を少し。絵に描いたような景色が続きます。まー、メイドンヘッドも似たり寄ったりだけどねーなんて。

ホーリー・トリニティ教会
もちろん、カナルボートも

白鳥がえさめがけてくる
ボートにはシェイクスピアの
作品にある女性の名が
(まんなか、オフェリア)
ジュリエット


パブで一休み



その名もブラック・スワン

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー

アネックスはモダンです


ここにもオリンピックが

そう、ぶち当たったというより、目指してた?
モダン・ブリティッシュの構えでした。看板の2コース16ポンドに魅かれ(引かれ?)入ったのに、これは6時半までだって。パブでうろうろせず、直にくればよかったにぃ〜。ま、ええか。前菜とデザートを1つとり、二人で分け、メインを2つ頼むことにしました。これ正解かもー。
わたしはグラスの白ワイン、相方は飲めないので、ガス入り水でしたが、二人で60ポンドほど。きわめてリーズナブルだぜ。

タウンハウスの一角
前菜のホタテ
シー・トラウト(海のます?)
ラム
付け合わせのクスクス
粒が、でかかったんですけど

デザートのチョコレート・フォンダン
満足でした。

今日はロンドン・テロから7回忌。7年前の今日、オリンピックがロンドンに決まったという翌日のことでした。

アーカイブの記事入れておきます。こちら→→→番外の番外編「ロンドンは負けない
あれから7年ですか。まあ、この疑惑の張本人も死んだとなっているけど。。。

© Mizuho Kubo , All rights reserved.., July, 2012

コメント

  1. そうか。7年か。シェイクスピアのコメント書こうと思っていたのに、最後で現代に戻ってしまった。まだ7年、という気もする。住んでいたあたりの地下で地下鉄テロがあった格好だし、バステロは良く乗ったルートだったし。あれ以来空港チェックが厳しくなった。その前にはぬいぐるみ抱えて飛行機に乗っても、おやおや、はいはい、という感じだったのに。
    で、シェイクスピア。ストラットフォードUAには25年くらい前と15年くらい前に行ったかな。いずれも日帰りだったので、お宿もお食事もなしだったけれども。それにしても、まあなんと観光化されてること。25年前に行ったときに立っていたすぐ裏の家を協会が買いとって壊して裏庭というか中庭にしてあったのが15年前。でもそのときは、生家の中は、19世紀にパブだった時代のエールの宣伝プレートとか価格表とかが残っていて良い感じだった。このまっちろけは行き過ぎだと思うけどな~。なんか映画のセットみたいやん。
    25年くらい前に行ったときも、町中いんちきティンバー(木骨じゃなくてモルタルの壁にスライスした木を貼り付けただけの見せかけチューダー)の家が目立って、たったひとつの(それも一人だったかどうかで依然論争が続いている)名前でこれだけ商売になる街ってのは世界中にここだけだろ~ね~って同行者と話したのだけれども。
    ハサウェイさんちまでは結構ありましたような。15年前に友人二家族とロンドンから日帰りバスツァーだったので、歩きはしませんでしたが。健脚ミミはどうだったか、続編お楽しみ。
    つぎに行ったときのために7つめの見所。確か、少年ウィルが通ったはずのgrammer school というのがあったと思いますよ。少なくとも25年前にはあった。ガセネタということになって、リストからはずれたかな?
    ・・・てか、難度でも使える切符が、あるって? チェック入れました。どなたとも存じ上げないお友達さま、便乗させていただくかもしれませず、その節はどうぞお許しを。

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  2. つづきね。わたしが見た「学校」は教会付属じゃなかったよ。どちらかといえば、写真のホテルに似たような、チューダー風の二階建ての建物だった。まあ、ここまで観光化が進んでいれば、「見所」も変わるのかも。お子さんやらお孫さんやらの嫁ぎ先とかいうのは、昔はスポットになってなかった。ここ15年でそれだけ見つかる、っての、ありかねぇ? 行くことは行くんだけど(イギリスで2回行ったことがある観光地なんてほかにほどんどない)、行くたびに、なんか商魂たくましいねぇ、というか、このまちでシェイクスピア関係なしに地道に稼いでいるひとが何人いるやら、と思ってしまうわたし。芸能人から研究者から、誰でも彼でも喜んで行ってはお土産買うし、世界中のシェイクスピア協会から寄付が集まるからね。劇場も演劇学校も全部寄付で建ってる。。。。。ひねくれ者から見ると、なんか、どんどん好きくない風になっているような。最初に行ったときにすでに、大英帝国が世界中で英語を第二言語にしなかったら、この街はなかったぞ~、もし世界中で日本語が第二言語になっていたら、紫式部の石山寺なんか今頃押すな押すなだもんね、ふん、という、わけのわからん国粋主義者になりかかったわたしでした。
    でもいくんだろうな。タダ券に弱いかくれ関西人のわたしとしては・・・・

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