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10月, 2011の投稿を表示しています

176 冬の花火

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毎年この時期になると花火の音を聞きます。11月のはじめはガイ・フォークスの日があり、格好の花火する言い訳になっています。前に記事にしたと思うんだけど、どこに入れたのか、自分でもわからない、みあたらない。だれか探して??? でもしっかりとは入れてなかった。。。いや、絶対入れたぞ。。。どっかにまぎれてるはず。。。 ま、ともあれ、ジェームス1世の時代(→「 自家製・ロイヤル年表 」役に立つわあ) 1567 - 1625 King of Scots   James VI and I    13人の浪士? エリザベス一世が世継ぎなく死んでから、スコットランドから来たひとね。 エリザベス一世の永遠のライバルであり、いとこであったスコットランドのメアリ女王がおかあさん。 王制に反対して、国会議事堂に爆弾をしかけ、破壊して王様も暗殺してやろうというやつらがおりまして。それのリーダー格がガイ・フォークス Guy Fawkes というひとでした。仕掛ける前に発覚したので、首謀者たちは捕らえられ、国会議事堂もジェームス1世も無事だったのですが、これを記念して?11月5日がその日。1605年のこと。イギリスではみなこのあたりの前後の週末は花火ウィークとなります。歴史の理由付けはどうでも、花火をあげるという楽しみだけみたい。 綺麗、と思ったらやっぱり 「日本の花火」でした 夏はねえ、やはり、日が長いので、花火大会っても、10時すぎないと色が見えないし。夜だと6時過ぎるともう暗いので大丈夫です。 各地の公園やひろっばで花火が上がります。個人的に庭であげてるひともいます。 寒いので、 bonfire といって、かがり火がたかれたりもします。 花火好きでねえ。ついばかばか鳴ってくると胸騒ぎがして外へ飛び出すのですが。。。 6月にファンフェアがあったとき、10時ごろにやっと上がってましたね。 「 154  ファンフェアがやってきた! 」 ← の中にもちらっと入れましたが、家の前から見えました。 11月のロンドン市長のパレードのあとにもあるらしいけど。 ロンドン・アイから出してたのよ あとは年末の花火。このところ年末はずっと日本に帰っているので、日本のテレビで「海外の年末風景」なんて番組で

赤つたシリーズ

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わたしは「ツタ屋敷」と呼ぶ 前にも同じようなの撮ってるのよね こちらは垣根ごと紅葉? つた ivy が色が変わって赤くなるって知りませんでした。 今年はよく目に付くので、写真花日記で。。。花じゃないけど、花関連っつうこってよろしいでしょうか。 漢字は「蔦」だったわ。 うちの近所に城壁のような家がある 公園近くのビルも 公園に清水が流れていました 落ち葉がうまく色あいよく これはツタじゃないけど 軒先のツタ 緑と赤 家の窓を覆うように 家も素敵 おもしろいもの発見 トラックの後ろに木を運び込み、フィルター通して 葉っぱも枝も木ごと粉みじんになるんです。 そう、この時期になると、道路にごみ収集車ならぬ、落ち葉集め、拾いトラックも登場。 道路のわきにたまった落ち葉の山をきれいに掃除していきますよ。 10月ももう終わりですねえ。 明日29日の深夜、夏時間が終わり、冬時間となります。10月最終の土曜日の深夜、日曜日の早朝に一時間時計を戻します。日本との時差は9時間。 ますます、暗く、寒くなってきます。 おりしも今週末はハロウィーンに、ガイ・フォークス〔次回説明するから、待って〕の待ちきれないひとの週末となり、にぎやかでしょうねえ。学校のハーフタームだし、楽しみいっぱい。子供はいいなあ。 © Mizuho Kubo , All rights reserved..October, 2011

175 栃の実 利用方法

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秋になるとからごといっぱい落ちてきて、道路や歩道を埋め尽くす栗のようなこれ、英語では Conker  コンカー というと、初めて知った!栗ではないとは思っていたが、なんというのか。 栗 Chestnut (チェストナット、マロンはフランス語) に似てるんですが、栗でないんです。こま遊びみたいに、硬いのをきそってぶつけて戦うらしい。 食べられないとイギリス人は言っておりますが、日本語のサイト見ると、食べれなくはない。が、食べるに行くまで、非常に大変そう。渋がすごくて、日本の田舎だと、渋皮をむいて、清流に何日もさらして洗うらしいのですが、洗うと石鹸のような泡が一杯でてくるらしい、まさに石鹸として昔使われてたらしいし、この水は流すと下水が綺麗になるという洗浄作用もあるらしい。 マロニエ?かあ?? 木にぶらさがってるところ 下におち うちの家は(うちだけじゃないだろうけど)クモが多くて、どっかから入ってくるんですよねえ。でかいのがときたまいて、悲鳴あげそうになります。クモだいっきらい。。。。(前にも入れたので→「 雑感・しょ~もない話 ネット・ウエブ 」) うちは古い家なので、風を通すよう、窓の一番上を開けておくようにと、と大家に言われ、朝晩、開けてるし、窓の外は木や草が多いから、外から入ってくるのは必須。日本みたいに網戸もないし。わざわざ窓つたって入ってきて、あったかい向こう側のバスルームに行くのかなあ、と不思議だったのです。あるとき、発見したのは、ひょ~!!玄関の扉の下にゆうに2センチくらいの隙間があったんです! これって、いくらドア閉めてても虫やクモは入ってくるよお~なあ。 で、あったかい、湿気の多い、風呂場にたむろしてるの。 けっこうでかいのがいいっぱいいて、だいっきらいのわたしは困っておりました。 と、このコンカーが「くもよけ」にいいと。。。 ネットに入れて つるしました さっそく、栗拾い、ならぬ、コンカー拾いだ。 買い物の帰り道、袋用意して下見ながら歩くも、けっこうもう終わっていて、落ちていてもつぶれてたりひからびてるんですねえ。 なんのことはない、家の前の木に一番いい実がいっぱい落ちてました。 おっきいのやら、ちっこいのやら集めて、洗って、

自家製・ロイヤル年表

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バイユーのタペストリより 自家製で、ロイヤル年表なるものをつくってみました。 このブログにはかかせない、イギリスの王室の年表。歴代王様・女王様の早見表です。時代がねえ、これ見ると一目瞭然ってのがほしかったんだよなあ。わたしも好きね。 ほんとはエクセルにするとええのですが、どうやって貼り付けようかが問題。。。。 とりあえずは初代、ということで、オーソドックスにマニュアルぅ箇条書き。 どっからはじめるかっつう問題もあるんですが、あまり古いとわけわかんないんで、通説とおりに行くかな。 イギリスというのは英連邦ですが、そうなったのはけっこう新しいの。それまでは別の国で、イングランドとスコットランドは途中からいっしょになります。 England イングランド 英国ではないです  日本は、。。。石器時代、いや冗談です。 1042 - 1066 エドワード Edward the Confessor   794 - 1156  平安時代 1066 - 1057  ウィリアム William I        すでに平安時代っつうのもすごい。 1087 - 1100 William II 1100 - 1133 ヘンリー Henry I 1135 - 1154 スティーブン Stephen スコットランドも出しとかんとあとで合流するので。 Scottish   .... James VI で合体します 1040 - 1057 マクベス Macbeth 1057 - 1093 マルコム Malcolm III 1124 - 1153 ディヴィッドDavid I 1249 - 1286 アレクサンダー Alexander III 1292 - 1296 ジョン John Ballil 1306 - 1329 ロバート Robert I プランタジネット朝                                                   日本も戦ってますなあ 1154 - 1189 ヘンリーHenry II                                    1156 - 1185  源平合戦      1189 - 1199 リチャードRichard I            

174 リージェンシーについて

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「リージェンシー」時代とは? Prince Regent  のちのジョージ4世(摂政皇太子)が病気の父(ジョージ3世)の代わりに摂政していた時代です。 1820 - 1830  George IV (1811-1820 Prince Regent 摂政時代) ジョージ4世 ほんとはもっと太ってたらしい ジョージ4世とブライトンにある避暑屋敷、ロイヤルパヴィリオンについては記事にしているのでご参考までに、こちらもどうぞ →→→ 「 164 ロイヤルパヴィリオンと海辺 」 ジェーン・オースティン 同時代にいるのが、詩人のバイロン、シェリー。このひとの愛人で後添えが「フランケンシュタイン」作家のメアリー。あと女性作家のジェーン・オースティンとか、そういう時代です。 ヴィクトリア女王の2代前、といっても、弟の跡継ぎでまた姪っ子だから、時代はそんなにたっていません。 「 自家製イギリス・ロイヤル年表 」(←←← ついに完成 )しつこいって? リージェンシー時代と言えば、建築。 王様は家にはちょっとうるさかったらしく、内装だけでなく、いろいろ変えております。お抱え建築家のジョン・ナッシュ。バッキンガム宮殿も現在の様式になったのは主にこのひとのときです。バッキンガムハウスだったものを、パレスにしたのもこのひと。庭にあった、凱旋門はヴィクトリア女王のときに移動され、現在のマーブルアーチ(ハイドパークの北側)に見ることができます。これは以前はバッキンガム宮殿の庭にあったのよん。 観光バスも通るよ ジョージ4世はフランスのナポレオン(1世)と同期。彼を政治的ライバルと思っていたようです。ウォータールーの戦い(日本語だとワーテルローって言うのね、フランス語読み?)でナポレオンを破ったことが自慢のよう。自分は戦場に行ったわけではないのにね。 このとがった尖塔が当時話題になったと 自分のつくった通りを 見つめています ナッシュが眺めているであろう リージェント通りの景色 リージェント通りの北の端にある、オール・ソウルズ教会もナッシュの作、ナッシュの胸像もここにあります。 ピカデリー・サーカスから望むリージェント通り 昔も今もあまし変わっておらんが。