番外編 アスワン後編 ついにアブ・シンベル





 表紙 大神殿の巨像 左・ラムセス2世 右・妻のネフェルタリ

6日目 2月6日(土)
いよいよ、アブ・シンベルだあ。前日からガイドに脅されておりましたが、当日は3時半起き。4時出発!船が用意してくれた朝食ボックス(パンにチーズとハムがはさんである。バナナ。クロワッサン。オレンジジュースと水)をレストランでもらって枕と毛布も持って、バスに乗り込みます。飛行機で行くツアーもあるけど、バスの方が効果的、というので、バスにしました。安いし。バスで所要片道約3時間半!ひたすら砂漠を走り続け、7時半には現地到着。当局の指示により、ツアーのバスは20台くらい団体で、決まった時間にコンボイ(連隊)となって走っていくのです。バスはトイレつきの50人乗りが乗客24人なので、二人分の席を一人でせしめて枕でぐっすり眠れました。ガイドも枕持ち込み寝る構え?
走る走る。ひたすら走る。何もない砂漠の中。5時半ころの日の出がきれいだった。


大神殿の4体は全部ラムセス2世 

アブ・シンベル。ずっと行って見たい、見てみたい、と思ってたのよね。今までの遺跡も神殿もほんの前哨戦。カルナック神殿も、ホルスもフィラエ島も、コースの食事で言えばスターター(前菜)のようなものよ。この一大大イベント、メインコースに比ぶれば。。。と期待が高まったのでしたが。。。
期待しすぎるといけないのはよぉうわかってるんですけど。
確かにすごい。確かに行く価値はある。3時半に起きて、砂漠の真ん中を3時間突っ走って、見て、また帰ってくる、その価値はある。。。。が。



アブ・シンベルは移築された1964年以前にはなかった町、とガイドが言います。反対に言えば1964年に無理やり作られた、砂漠の真ん中で、世界で一番有名な観光名所のひとつになってしまった町。

審美眼のすぐれた筆者(!)には物足らなかったのです。というのはそれもそのはず。ハイダム建設による水没の危機を乗り越え、少し高台に移築されたこの遺跡。レリーフや巨像をなんと1032ものパーツに分け、オリジナルに忠実に移し変えたのです。もともとが岩山をくりぬいて作ったもの。確かに岩山ごと移動するわけにはいかない。っつうんで、外のいれものは移築した20世紀の新しいものです。なんか、しっくりこないのよね。だからなんだろか。巨像のうしろの岩山はコンクリートで作られたドームの上にのっかってるんです。外とうちがやはり、わたしの眼にはミスマッチ。
なんかあ、上の方がフェイクぽくない?



ま、ぐちになってしまいましたが、これは建築大好き、わしこそ、王の中の王じゃ、と自他共に認めるラムセス2世の作です。大神殿の隣には、愛妻ネフェルタリのために、建てた小神殿も。

こちらも外からの写真はオッケーでも、中は撮影禁止なので、外の写真だけね。中のレリーフなどは、またはがきを買いましただ。




南方の奴隷たち





大神殿から。
なんでこんな砂漠の真ん中に建てたかっつうのはラムセス2世なりに意味がありました。隣国ヌビアを威嚇するため、エジプトの国力を示すため。一方で、最愛の妻、ネフェルタリもヌビアの出身。アブシンベルはほとんどスーダンとの国境あと何十キロ。
入り口をはさんで左右対称に4体のラムセス2世の巨像。左から2体目は頭が落ちてしまっている。移築する際に、足元の頭を元に戻すことも現代の技術ではできないことではなかったが、オリジナル通り、なおさず、そのままにしているといいます。

入り口には「撮影禁止」のサインと、警官が立っています。
でもこの警官がねえ、くせもんで。大神殿も小神殿も、中は写真撮っちゃいけない、って言ってるくせに、観光客に、アンクの形の扉のかぎをもたして写真撮らせるんです。で、お金をもらってました。ずるぅ~。わたしの友人は小神殿で、警官にこれ持て持て、とアンク鍵を渡されて、先制攻撃「ただよね!?」と念押ししてからパチッ。鍵といっしょに記念撮影。してやったり。







巨像に囲まれた入り口を入ると、大列柱室にはオシリス神のポーズをとるラムセス2世の像(上左)。天井の絵はフィラエ神殿でも見た天空に羽根のあるワシの女神らしい。その奥にラムセス2世の神である、アメン・ラー神の船。
奥が至聖所。この横にパピルスなどを置いていた場所もある。

 ここのいちばん奥にある至聖所には4体の像が並んでいます(上の3枚の絵葉書の右下)。
向かって右から太陽神ラー、ラムセス2世、王の守護神アメン・ラー、一番左が闇の神。
年に2回、太陽の光が奥まで差し込むように設計されているが、闇の神には当たらないようになっています。すごい。どうやってそういうことできるのかね。移築したあとは1日だけずれたようです。この太陽が当たる日が。


戦いのレリーフもあり。




 隣のネフェルタリの小神殿に行ってみましょう。ハトホル女神もいます。この神殿はネフェルタリとハトホルに捧げられたものだからです。







レリーフは(はがきから)右・ネフェルタリの戴冠式、ハトホル女神(左)と別の女神が祝っています。神々にパピルスのささげる、花束をささげる。などなど。もちろん、ハトホルの柱も。一番奥には牛の形をしたハトホル像が。ネフェルタリ、とは一番美しい女性を意味するそうです。表には6体の巨像が並んでいますが、左から、ラムセス2世、ネフェルタリ、ラムセス2世。ネフェルタリの顔がちゃんとわかるのは向かって右の部分のみ。やさしそうな顔よね。美人?なんだろうか、これが古代エジプト美人。



ハトホルの柱

このイチョウの葉みたいなんがパピルス。
上はハトホル(左)に花をささげるネフェルタリ
下は船に乗った牛がハトホル女神。
左にパピルスをささげるラムセス2世。


見学終わって、10時には出発。また隊をなして帰路アスワンへ向け3時間。1時には戻り、ランチのあとは昼ねをして(も~、むちゃくちゃ眠かったの)ひとやすみ。5時に甲板に出ると、コム・オンボに接岸して、あとから来た3泊のグループが見物のため、上陸中。船がたくさん停泊していて、さながらラッシュアワーのよう。わたしたちはサンデッキで高みの見物。遠くに神殿がライトアップされているのがぼんやりわかります。今晩は新しいメンバーのために、夕食の前、カクテル・パーティがあります。

人工のナセル湖を望む絶好のロケーション。
(はがき)水に埋れるはずだった神殿。エジプトの1ポンド札にも入ってるんや。そら、名所やし。でも1ポンド札はもらえませんでした(ツタンカーメンのコインになってた)




ごめん、コインはのちほど、アップします。




 かみエジプトの象徴がロータス、しもエジプトがパピルスですって。

2010年2月22日
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..…..February, 2010

コメント

  1. なるほど。今まで聞いた中で一番実感あるアブ・シンベルの情報みたい。アスワン・ハイ・ダムの建設予定地に神殿がある、っていう騒ぎ、覚えてますよ。小学生のときものすごいエジプト・フリークだったの。世界中からお金を集めて・・・今思えば、このエジプト・フリークが最高潮に達した小学生の時のエジプト展は、移築資金集めの一環だったのかもね。毎日新聞の切り抜きをしてスクラップ・ブックを作っていた私を見て、父が、母に、東京まで展覧会に連れて行ってあげなさい、と言ってくれたのでした。
     神殿内部まで全部移築したのだね。でも切り貼りなのは否定できない、と。昔の状態の写真のほうが確かに迫力ありますね。
     今回も表紙がすごく良い。絶対に写真のセンスある!と感心しています。

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  2. 表紙はね、毎回どれにしょっかな、と迷い、拡大で見て一番よさそうな、雰囲気を伝えるものを選ぶんです。デジカメさんのおかげよね。わたしの趣味によくついてきてくれてます(?)うちのいもとも昔考古学者になりたかったらしい。天文学者でも一時ありましたが(いまもだ、と怒られるかな?)。

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