番外編 イギリスのエリザベス女王陛下がお亡くなりになられました







9月8日、女王陛下が96歳で崩御されました。崩御、なんて言い方古いかしら。南仏の友人宅にお邪魔している時で、大画面のテレビでニュースをずっと見てました。フランスサイドの情報だけど、フランスでも女王陛下は人気があったようです。

二日前に(ボリス・ジョンソン退任を受け)イギリスの新首相になったリズ・トラスが女王に会うためスコットランドまで出向いたその直後。女王は夏の避暑にバルモラル城に滞在されていて、普通ならバッキンガム宮殿で首相任命を行うらしいですが、歩行困難なため、新首相がバルモラルまで出向いたのです。そのときのニュースの写真は、タータンチェックのスカートに杖をつきながらも、新首相と握手をされていました。メディアに出るのは久しぶりのこと。みんな、お元気そうでよかったと思ったはずです。

その直後、ドクターストップがかかって、翌日の公務はキャンセル。そして8日の午後にお亡くなりになったという発表が王室からありました。

王室の誰かが亡くなったり、生まれるとバッキンガム宮殿の前に額が提示されるのです。

特別版新聞がいっぱい出るだろうなあ。





1926年4月21日ロンドン生まれ。

父の戴冠式

父、ジョージ六世、母、エリザベスの長女。

父は兄のエドワード八世が離婚歴のあるアメリカ人女性との結婚を選び、退位したことによって王となります。その時点で、次の王位継承者はエリザベスとなるのです。

第2時世界大戦中も王女としてイギリス国民と共に厳しい時代を生き、持病のあった父を母と一緒に支えていました。


1952年2月、ジョージ六世が亡くなり25歳で女王となります。翌1953年6月戴冠式。すでに1男1女の母。子供は4人。孫8人、ひ孫12人。
長子チャールズ

チャールズのプリンス・オブ・ウエールズの儀式。日本で言うと元服みたいなもんでしょうね。

チャールズの結婚式



2012年のロンドン・オリンピックの時の開会式、ジェームズ・ボンド扮するダニエル・クレイグとミッション・コンプリート。

ジェームズ・ボンドがバッキンガム宮殿に女王を迎えに来て、一緒にヘリコプターで会場に向かいパラシュート傘下するというのが話題になりました。



ひ孫たちに囲まれて

個人的には、ウィンザー城の火事、長男チャールズの結婚、離婚、ダイアナ元妃の交通事故死にまつわるメディアの非難、次男エドワードの離婚、スキャンダル、孫のハリーの結婚、王室離脱、などなど、大変な人生だったと思います。




在位70周

2002年に妹のマーガレットをなくし、同じ年に母のエリザベスを101歳でなくし、夫君のエディンバラ公フィリップ殿下を昨年2021年4月に(享年99歳)見送りました。

ジュビリー(戴冠記念)は4回。1952年に即位後、25年目のシルバー、50年のゴールド、60年のダイヤモンド、そして今年2022年に70周年のプラチナジュビリーを経て、ヴィクトリア女王を抜く、歴代最長在位保持者です。まず、この記録は誰にも抜けないのでは。

写真はインターネットからいただきました。

最後の公務。新首相、トラスの任命を滞在先のバルモラル城で行い、その2日後に崩御のニュース。本当に急でびっくりしました。首相と握手する画像がニュースで流れ、久しぶりに公の場に姿を見せた女王に、安堵していたのですが。










わたしはロイヤリストでも何でもないけど、イギリスのロイヤル・ファミリーは常々王室というより、セレブリティ。ハリウッドスターか、有名人と同じ扱いだと思っています。ゴシップも出るし、ジョークの的にされたりもする。王室の人たちも、口が悪かったりするし、うっかり発言もあり、離婚も再婚も堂々とするし、で、まさに普通の人と同じ。日本の皇室のように閉ざされている感じは全くしません。

お葬式は9月19日の月曜日と発表されました。この日は今年だけのバンクホリデー(休日)となります。有給休暇を終え、月曜日から出社のはずだったんだけど、また1日ホリデーが増えたわ。

9月11日からの週はみな喪に服すようなので、静かなのかもしれません。店とかも閉まるのかな。亡くなった日のオフィスの英人同僚たちの反応を見てみたかったわ。


フランスのテレビのニュースをずっと見ていますが、女王のプライベートの動画を入れた女王自身のナレーション入りのドキュメンタリをやっていました。小さい頃の父母とのホリデーや日常の様子。公務では見られない、とても自然な表情やコメントがあって、とても興味深いものでした。女王自身のナレーション、いつ録音したんだろう、と思ってしまいました。見終わった後、まあ、なんて人生だったんだろう、と感動してしまいました。



女王が亡くなったと発表される数時間前にバッキンガム宮殿の上とウィンザー城でも2重の虹が現れたそうです。女王が渡る橋?フィリップ殿下が迎えに来た、とか、色々話題になっていたそう。










女王の死去に伴い、長男のチャールズが三世として王に即位継承。
ロンドンのセント・ジェームス宮殿でセレモニーがありました。
懐かしい政治家の面々も出てて、ゴードン・ブラウン、テレーザ・メイ、デビッド・キャメロン元首相が見えてました。キャメロンはブレクジットの張本人。よくしゃあしゃあと出てこれたなあとは思うけど。

女王の即位宣言の時の
セント・ジェームス宮殿

女王はスコットランドのバルモラル城で亡くなられたので、まず、エディンバラに運び、そこからまたロンドンへ運ぶまでの葬列のスケジュールや行程が発表になりました。

9月10日のニュース




















バルモラル城からアバディーン経由エディンバラに行き、ホリールード宮殿で24時間安置して、ロンドンへ向かうのです。途中、女王がよく言ったというお城近くの村やエディンバラの人たちが迎える中、葬列は進みます。



ナショナルレイル(鉄道)のサイトも追悼のコラム。

ロンドン交通局のサイトも白黒でした。

日本のニュースにも、継承順が出てました。
イギリスは直系の王族の長子が男女に関わらず、継ぐのです。
ジョージ六世は女の子2人だったので、長子のエリザベスが継いで、彼女の長子チャールズが継ぎました。この後も男子はずっといるのでイギリス王室は安泰?


棺はロイヤルの旗が掛けられ、その上に王冠や花を飾ります。

イングランド
スコットランド

お葬式の棺桶に置かれる品々、こちらはイングランド仕様だそうです。スコットランド仕様もあるのです。ロイヤルの旗のデザインが少し違うのです。イングランドは3ライオン、スコットランドは赤いライオンが2つになっているのです。


お葬式はロンドンのウェストミンスター寺院で。その後ウィンザーまで運ばれます。
遺体はロイヤルファミリーの居城である、ウィンザー城内のセント・ジョージ・チャペルに、ご主人とお父さんの傍に埋葬されるそうです。




国葬の模様はまた別記事にします。ウィリアムやハリーの結婚式にも行かなかったし、クィーンマザーやフィリップ殿下のお葬式にも行かなかったのですが、こんなことは一生に一度遭遇するかしないか、だろうから、ウィンザーまで行ってみようかしら。
女王陛下のご冥福をお祈りいたします。

続編 ➡️番外編 女王陛下の国葬準備と当日


コメント

  1. 本当にお久しぶりです。3月末退職以来かなり心身不調で、ほとんど外部と連絡してませんでした。このニュースは日本でももちろん相当に報じられてますが、実は作夏のオリンピック前あたりからTVも見なくなってまして、これは、と思ったのですが、のちほどBBCサイトでも見られるだろうし、と、体調不良を理由に寝てましたら、どうも、NHKの中継は評判悪く。BBCWorld で見たひとが結構いたようです。漏れ聞いておられると思いますが、7月参院選末期の事件以来、どうも日本の報道機関はおかしいです。2か月も浮き足立ってるほどの何が? と思いますが、実はじわじわとおかしかったのが、ここに来て一気に世間の目にさらされて、そもそも舵取りができてない様子(NHKは数代前から、内閣直任の天下り会長がワンマンはいうもおろかな人物になって、そこから、これ見ても仕方ない、と思うことが増えました)。王配殿下のご葬儀はBBCで中継見ましたが。それもいつのまにか、しなくなった・・・この年になって、こうまで、知りたくないことばかり報せてくるニュースに触れるとは、実は予想してなかったのかも、しれない。一昨年かなのキャピタル・ヒル以来、なんかブレイク・ニュース見る度に、鬱がぶり返すようになって・・・ごめんなさい。
    当然覚悟しなければいけないことだったとはいえ、ERII の崩御は、なにか、巨星墜つというか、ほんとうに世紀が変わったというか。まあこれだけ間が空いたので、跡継ぎ息子さんのほうはある程度評判挽回したようですけれど。たまたま、ウィンザーの火災の年、まさにannus horribilis と〈発音はちょっとヘンだったけど)言われた年にイギリスに滞在してたので、いくら気丈な女王陛下でも、愚痴りたくはなるわよね、と思ったことは覚えてます。
    退職してもまだ研究費延長効いてるのですが、いろいろ探ると、どうも、今年も、イギリスに長期調査には行かないほうがよさそう、今のところどちらも水際も、かなり緩くはなってるんですが、実のところ、今おそらく日本の政府は、立法府じゃなくて、行政府が全体としてまともに機能してません。どんな体たらくになるにせよ、来週の、こちらの「国葬」が済むまで、永田町界隈がどうなるのか、見通し付きません。その余波で、厚生省と外務省がちゃんと連携して動かないと、あぶなくて海外に出られない。もう勤めはないけど、一応年度の区切りがある国の研究費だから、帰れません報告書書けませんは、やっぱり困る。つぎに行ったら、市中のポストが、ERIIからCRIIIになってるのもあるんだろうな、なんて思いながら、来年度は早くから行けると良いけどと思ってるところです。
    お元気で。今年は、帰ってこられそうですか?

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