77 写真で見る!ロンドン・オープン・ハウス 2009
オープンハウスの記事は前にも入れましたが→
(3 ロンドン・オープン・ハウス 写真は最近のもの)今年の9月に
K 女史がロンドンにお越しになったおり、ご一緒しました。今度は写真付きよ!今年のテーマは「中世教会とその周辺」。シティの近くにけっこう中世の教会がかたまってあって、見学便利ということももありまして、選びました。
まずはギルドホールから。
古い建物と新しい建物が融合しとります。
大ホールの内部です。天井の梁がイギリス。
お次は St Mary Le Bow. こちらも立派な内装、地下までございました。クライプト(Crypt)の祭壇横の椅子が気に入って写真とりました。地下はキャンティーンになっていたのですが、女史いわく、クライプトは地下礼拝室になる前は遺体安置所としても使われていたと。そんなとこで飯食えるかって(あ、お上品な方なので、別にこのようにのたまわれたわけではござんせん)
セントポール大聖堂が建物の谷間に見えました。右はガーキンビル。 新旧の競合?
St Mary Aldermary. 通り隔てて隣のギルド教会です。
St Helen's Bishopsgate これまた最も古い教会のひとつ。場所はリバプールストリート駅にほど近い。文字通り Bishopsgate 沿い。
窓がすてきな外観。ガーキンも見えるよ。
オープンハウスの看板
中はこんな感じ。
この天井の梁の部分はこの教会最古の部分。13世紀ごろ。
りっぱなパイプオルガンもあります。
(上、この Fire Place のようなもの)これは女史のご専門なのでちょっと緊張。仰せによると Easter Sepulture というものだそうです。sepulture はもともと埋葬場所のことです。復活祭(イースター)の前のキリスト受難の儀式を行う際に使われたという。宗教改革の前、カトリック時代の名残だそうです。主祭壇で聖体(パンと言われるミサの際に司祭から食べさせてもらう、ウエファースみたいなふわふわのやつ)を納めた櫃を置いてた場所ということです。そう、いろいろ説明してもらったんだけど、パンという食べ物しか覚えてないっつう。。。すんません。女史にあとから監修してもらったんだけど、筆者の勝手な翻訳・解釈(?)で短く説明。通常使われてない、残ってない教会も多いなか、ここには儀式としてのこの「イースター前のキリストの墓」が残っているそうです。復活祭の日にはここからその櫃を取り出して飾り立て、教会の境内から周囲を行列して回って祝います。これがイースターのパレードなんですね。復活祭はキリスト受難を表し、キリストの死をいたむのです。ここの、とりだす窓口は、ふさがれていて、白い壁だけになっています。こんなとこでしょうかね?イースターの説明はまたどっかで出てくると思います。女史のご説明をアーカイブに入れているのでまた季節になったら公開しませう。
St Botolph Aldgate. 中世の鐘突きのデモがあるということだったのですが、行き着いたのが、ちと遅かった。
パイプオルガンも立派。ここのはロンドン最古のものだそう。
正面の3面ステンドグラスはルーベンスだそう。
←これこれよ。ルーベンス
外からの概観はけっこう地味??
最後はターキッシュ・バス。昔のトルコ風呂です。変な意味ではござんせん。文字通り公衆浴場だったみたいよ。今はテラスのあるカフェになっています。地下が昔お風呂に使われていたらしい。今は場末のディスコみたいなイベントスペースだった。外から見るとこんなシティの真ん中になぜ?って感じの建物です。
続々、お風呂に行列。。。いや、見学だけど。
近くには St Botolph without Bishopsgate ってのがあるの。おなじような名前がございますね。
◎写真はすべてクリックすると大きく見ていただけます。
おまけ。
実はGuild Hall を出て St Mary Le Bow へ行く前に迷って(また迷ったのだった。
迷いようがない道のはず。。。だったのに。どうして正反対の方向に行くんでしょね。。。)見つけた都会のビルの中の中世の塔。
これもご愛嬌。。。自分で言うなって??
ほとんどロンドンウォールの方に行ってたんですよぉ。
ロンドン在住の方だけにわかる究極の方向音痴。
2009年12月8日
© Mizuho Kubo , All rights reserved…..…..December, 2009
えっと・・・もうKouraというペンネームがあるのに、わたしがKです、って言うのも変なんですが。写真掲載ありがとうございました。日本で「キリストの墓」の話をしたら、ええ、セント・ヘレンズにはちゃんと学術ガイドつきのツァーで行ったのにそんな話聞かなかった、みたい、と言っているお友達がいるので(まだ読者登録しない読者ではあります。楽しいブログがあるのよ、って、インフルエンザで蟄居処分になっていたときに教えてあげて喜ばれました)、この回は喜ばれるでしょう、ってか、中世の建物好きのお友達が大勢いるので、早速ブログの案内を出します。
返信削除ギルドホールに詳しいひともいるので、写真についてもなにか話してくれるかもしれません。Kouraはギルドホールについては、写真にあるホールは最初礼拝堂かと思ったら(つまりそれほど広くないんだわ)ロンドン市議会議場であることに途中で気が付いたほど無知でありまして。
セント・ヘレンズは宗教改革までかなり大きな女子修道院でありました。ロンドン市の金持ちの娘が「キリストへの持参金」を持って「キリストの花嫁(修道女のこと)」になっただけではなく、裕福なロンドン商人もいろいろ寄付をしましたし、多額の寄付をして修道院礼拝堂内に墓所を作ったひともいます。壁に作りつけられている16世紀の墓と、床から立ち上がるかたちの墓に作って(また相当場所取りで、これは邪魔くさかったんじゃないのかなと思うほど)下部に棺を納め、上の面に被葬者のほとんど立体の祭式浮き彫りを飾った14~15世紀の墓が三基ほどありました。説明書によると、修道院時代はすぐ外側に教区教会があったのだけれども、修道院解散に際して修道院礼拝堂のほうを教区教会にしたのだそうです。周りにあったはずの広大な敷地と建物は今やビジネス街の道路とビルのした。ただし、礼拝堂の入り口付近に一箇所、昔ながらのものと思われる黒御影石づくりのベンチの壁に、ちょうど人の顔が出るくらいの大きさの穴がやや低めの背丈向けにくりぬかれている設備がありました(現在は本棚に転用されているので注意しないと見落としてしまいます)。おそらく修道女に家族などが会いに来たときの面会窓だろうと思います。つまり、この窓の奥、今ではもう教会の壁の向こうのとなりの建物になっているところに、修道女たちの生活する居住部ドミトリーがあった(あるいは礼拝堂のすぐ外は四角い中庭つき回廊クロイスターになっていて、そのさらに奥が居住部だったと考えるほうが良いのかと思いますが。
ごめん。つい余計な「うん・ちく」を。ここまでくるともう、「らん・ちき」かな。
では。
ありがとござんす。コメントいただけると思っておりました。最後の本売り場になってたところは写真撮らなかったんですよね。残念。うん・ちく。歓迎。
返信削除付録編。シティでテムズ川に近づこうというのにギルドホールから坂を上りはじめたMimi.こういうときは黙って付いていくほうが結局時間の節約になると思って、ただ道筋だけを記憶しながら同行したKoura.はたして。どうやら違うらしいと諦めたときのMimiは一人では引き返すのが難しい状態に・・・
返信削除いいの。Mimiはスケジュールプランナーでガイドじゃないんだから。
ロンドンは、場所によっては遠回りになりますけれども、おおむね、坂を下っていけばテムズ川に行きつきます。それだけ覚えておいてね。Kouraはガーキンビルがないどころか、ロンドン塔が下流からもはっきり見えるくらいに高くそびえ立っていた時代の地図をしっているので、ちゃんと、スミスフィールドに行くと、ほう、ここは相当な高台だな、ってわかるんです。クラーケンウェルとか、19世紀になって開発された地区のことはよく知らないんだけどね。
でもお友達は、シティは似たような通りが多いから迷いやすいって言ってましたよ。うん。いまだに曲がりくねった入り組んだ街路もあるしね。古い地図を頭に入れておくと結構便利ですが・・・土地勘って、努力でつくもんとはちがうんかな。。。でも。道に迷ったときのMimiはかわいいから好きです。それに、歩いているときが危ないだけで、バス路線やら鉄道経路やらを暗記するのはみごとなものじゃん。さすがプランナーのプロですよ。自信もって。
日本は忘年会シーズンですが、クリスマス含めてなんとなく活気がないような気がするのは、やはり不況かな。いままで何度となく不景気は経験してきましたが、今度のが一番すごいみたい。ロンドン並みのスピードで小さな店舗がどんどん閉まっていってる。。。Kouraもペットボトル買うのやめて、携帯用魔法瓶にコーヒー入れて持ち歩こうかなと思案中。これでお弁当つくるようになったら? 日本経済は終わりやで。
すんません。ほんまに。。。あのときはまあったくわかってませんでしたね。「反対じゃないの?」と言われてもまだ疑心難儀。だした。思い込むと怖いものがある、方向音痴には。。。だいたい、わたしが直感でこっち、と思った方向と正反対に行くと当たってるということなので。困ったもんだ。よく、ロンドンに何年住んでんの?と言われます。沈黙。ガイド。。。実は果敢にも挑戦しょ~かなと思ったこともやや、あり。やめてよかった。若かりしころは添乗員もやってました。笑
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