ケンブリッジの休日 その2 ガイドツアーでカレッジ見学

7月20日(日)
暑い〜し、泊まった宿は大きな道路に面してて、もちろん、エアコンなどはないし、相方が窓全開にしてるので、昨夜はほろ酔いで帰ってきたにもかかわらず、うるさくて暑くてほとんど眠れませんでした。といいながら明け方少し眠れたか。

カナルボートも

公園でバーベキュー大会してました
いいなあ 
水門

朝食代は別だし(そりゃ、B&B=Bed and Breakfast とは言わんよなって)、相方は重い朝食はいらん、というので、部屋に備え付けのコーヒーと持参のビスケットで簡単に朝食。
Dくんは観光には興味がないので、ショッピングに行くと言います。ダブリンでも、マナーハウスのガイド観光にひとりで参加したあるよ。

白鳥もいる

今日はレースがあるようです。


ピンクのキョリ表示が


















わたしは別宿の友人夫婦とインフォの前で会い、特別指定されたガイドしか入れないというウォーキング・ツアーに参加することになりました。









ラウンドチャーチ

えらー古そう
この前、何度も通る


セント・ジョンズ・カレッジはマーガレット・ボーフォートのゆかりのカレッジ。
ばら戦争を終結させ、ランカスターとヨークをまとめたヘンリー・テューダーこと、ヘンリー七世のおかあさん。ヘンリー七世はヨークの令嬢エリザベス(エドワード四世とエリザベス・ウッドヴィルの娘)と結婚し、次男のヘンリー八世が後を継いでおります。

去年、BBC でこの時代のドラマ The White Queen(エリザベス・ウッドヴィル、マーガレット・ボーフォート、アン・ネヴィルと3人の女性を主役に)やってたんで記憶が新しい。女性作家の原作で、ホワイト・クィーンって題でした。ホワイトはヨークの白ばらのことでしょうね。エドワード役の俳優さんも(弟の)リチャード役もキングメーカー、リチャード・ネヴィル役のひともみなかっこよかったわー。日本でも機会があったら見ておくれ。

ちょっと長くなるけど博学雑学で、補足しておこかな。

エリザベス・ウッドヴィル  
 ヨーク公エドワード(のちのエドワード四世)の妃
 美貌の未亡人ながらエドワードに見初められ王妃になるには身分が低すぎ、愛妾になるにはプライドが高すぎます、と言ったという逸話。
Margaret Beaufort

マーガレット・ボーフォート
 ケンブリッジ大学ゆかりのひと。
 のちのヘンリー七世の母。ヘンリーはボスワーズの戦いでリチャード三世を倒しテュダー王朝の最初の王。ばら戦争を終結させたと言われている。

アン・ネヴィル
 キングメーカー、リチャード・ネヴィルの次女で最初の夫はヘンリー六世とマーガレット・ダンジューの跡継ぎ息子エドワード。彼が戦死したあと、エドワード四世の弟であり、のちのリチャード三世と結婚。


自家製・ロイヤル年表 イメージ版」👈貼っておくかな。時代がわかるように


チャリティーのマラソンみたい



ピンクの女性ばっかです



イギリスの大学の双璧、オックスフォードとケンブリッジ。何かと比較されるようですが、タイムズ紙の評価によると、オックスフォードのほうがちと上みたい。ガイドさんはもちろん、ケンブリッジの方なので、肩持ちますよなー。説明にも諸処にオックスフォードはこうだけど、ケンブリッジの方がどうだ、こうだ、ベターだと熱が入ります。

20人くらいのツアーメンバーのお国柄をまず聞きます。アメリカ人、中国人(中国人多いのよねーここ)、ブラジル(ワールドカップ、残念だったね、だって)、オーストラリア、マレーシアもいました。そしてわたしたち日本人。

まず、大学(ユニバーシティ)とカレッジの違い。イギリスでは大学の中にカレッジがいくつかあり、専門により、カレッジが決まり、カレッジにより専門が違うようです。カレッジ自体、学生の生活の場、勉強、寝る場所、食事をする場所と一体になっているのがカレッジでしょう。





サイエンス(科学)はここから始まった、の建物
あの、マイクロソフトのビル・ゲイツも訪れたとか。



まず、ペンブルック・カレッジ Pembroke College に行きます。


こちらがチャペル


建物も素敵で、庭も綺麗です。チャペルも見えます。





小ピットさん
向こうが住んでた部屋

庭から

まんなかのエンブレムのついてるとこです

銅像の足もとに PITT とあったので、どっちかな、と思いましたら、小ピットのほうでした。William Pitt the Younger イギリスの政治家で、このペンブルック・カレッジで勉強していました。彼の部屋もあり、銅像は住んでた部屋を眺めています。
酒浸りがたたって、40代で亡くなったそう。

チャペルはあの、クリストファー・レン、若き日の最初の作品。1666 年のロンドン大火のあと、焼けたセント・ポール寺院を今の形にドームで作り替えたひとです。こんなところにレンさま、いたなんてー。




若き日のレンの作品



イギリス人学生は年間授業料 9000 ポンド、外国人学生はその約3倍だそうです。これに宿泊費などは別ー。日本の大学も留学生支援に援助しているようですよ。

次はキングスカレッジに。途中で不思議なものを見せてもらいました。


昔は銀行だったところに、図書館を建てたらしい。
あとで調べたら、コーパスクロックというらしい。
どう見てもバッタが上にいるとしか思えないですが、どうやって時間を計るかも説明聞いたけど、わかりまへんでした。


こちらは日時計。昔の町の入り口だったそう。

日時計のあるゲート
キングスカレッジはヘンリー六世が創設。ばら戦争のさなかの方です。

キングス・カレッジ






この柳扇のような天井の様式はウィンザーのジョージチャペルにもありました。ウェストミンスターもそうだな。ハンプトンコートにもあったような。




左、格子 Portcullis はボーフォート家の紋章
右、言わずとしれたテューダーローズ




ステンドグラスがまたすごい



こちらちと暗いけど、アン・ブリンのイニシャルですって。ヘンリー八世の(6人の妃のうち)2番目の妃でエリザベス女王の母。断頭台に消える。

ステンドグラスが見事。
作は当時の画家やステンドグラス職人で多かったフレミッシュ(フランドル地方、現在のオランダ)。

ひとりの職人の作

東方三王の礼拝
ルーベンス 1634 年作

















東壁面の祭壇にある、ルーベンス。
聖母マリアと生まれたばかりのイエスキリストを三王が表敬訪問するの図ですが、このマリアは自分の奥さんの顔になっているらしい。1961 年に寄贈された折、ステンドグラスが隠れないように、わざわざフロアを低く改造してこの絵を据えたとか。






真ん中の黄色いエンブレム
クレア家紋章
 はい、前回の書き込みにあったように、クレア夫人の建てたカレッジです。
3回結婚し、結婚するたびに夫が亡くなり、遺産が増えていったそうで。これって、幸運?不運?とガイドさんが聞くとメンバーの中のご夫人が、ラッキィ、と答えておりました(一同爆笑)。





この間を渡っていく学生がいたとか
危ないよねえ

👈右がセナートハウス



ツアーはここで終わり、あとは自分たちでトリニティカレッジに行きました。

友人のご主人の憧れの偉人、アイザック・ニュートンに会いに!







カレッジ自体は古く、1546 年にヘンリー八世が建設。門に銅像が立ってました。
チャペルの中にはここゆかりの偉人たちの銅像が。

ヘンリー八世

門のこちら側


中庭

チャペル

こちらはエリザベス一世

ニュートン







詩人のテニスン

天井

入り口の手前の外にニュートンの木があったと、入ってから案内書で発見したので、終わってからぐるっと回ってまた写真を撮りに。故郷のリンカンシャーから 1954 年にここに移植したらしい。

万有引力を発見したとされるりんごの木
















レン・ライブラリ




陸地から見た「数学橋」

ちなみにチャールズ皇太子はケンブリッジ出。トリニティ・カレッジで考古学から最終は歴史専攻だって。知らなかった。ロイヤルは車を自分で運転することを禁じられていたので、ヘリコプターでカレッジに乗り付けていたとか。

女優のエマ・トンプソンもケンブリッジ出ですって。英文学専攻らしいけど。えらい?のねー。

目次は一作目ご覧下さいまし。👉「ケンブリッジの休日 その1 カム川パンティング

© Mizuho Kubo , All rights reserved…July, 2014

コメント

  1.  いいなあ。ペンブルックには入ったことなかったかと思います。チャールズは英国王室はじめての大学入学(あ、卒業もですね、そっちはなんでか話題にならなかったけど)のひとです。当時大騒ぎでした。それまでは全部家庭教師(? 大人にもそういうか?)だったんだって。でも実は、いくつかのカレッジは、貴族さまは入試なしで受け入れてるのよ。古いのに多いです。中世以来の寄付で不動産も動産もたくさん持ってるけど、今だって無試験入学にはなんらかの寄付がくっついてるんでしょうよね。
     ラウンド・チャーチはいわゆるサクソン様式、もちろん大学よりもずっと古いです。たぶん現存建造物では市内最古。わたしあそこが好きでした。結果的にメインストリートのど真ん中に近いしね(今はもうちょっと駅よりのほうに新しい目のお店が賑やかなところがありますが)。
     ん~ 確かに、伝統的人文学のオックスフォード・新興自然科学と実学のケンブリッジ、という傾向はあるかも、ですね。で、1990年代初めに行ったときにすでに、なんで日本から? いまの日本にはイギリスから学ぶものなんてないでしょ、って言われたのは自然科学とりわけテクノロジー系のことだったらしい。ちなみに法学は実学なので、ケンブリッジ(じつはロンドンのほうがもっと? という説がある)に行く人も多いです。文学のことはよくわかりません。どちらが上ってことはないのかな。哲学と歴史は実はオックスフォードのほうが上、というのが下馬評です。基準はよくわかりませんが。ただし考古学はケンブリッジのほうが新しい手法開発が進んでるかもしれません。でなぜか、法と歴史がくっつくと、これは断然、ケンブリッジが本場なんです。経済学は・・・これはたぶん、ロンドン大学でしょう。
     あの「数学の橋」ね、もともとは、力学的計算で組み立てたから、釘一本も使ってない、のがウリのはずなんだけど、クイーンズに行くときに渡ったら、少なくとも内側はしっかり、太い金属のボルトで留めてありましたよ。補強、かなぁ。木製だから何度も掛け替えられてるはずなんだけど。

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

花日記 イギリスの四季の花・初夏~夏編

イートン・カレッジ

番外編・イギリスのドア番号と家のサイン